2006年06月22日

日銀総裁に求められる資質

福井総裁による村上ファンド投資問題で大揺れの日銀ですが、昨日、6年間の投資で得た金額が1473万円であることが明らかにされました。
政府は基本的に福井総裁の擁護論を展開しましたが、国民の半数近くはかなり厳しい目で見ているようですね。
今朝の『読売新聞』にネット調査の結果が掲載されていましたが、67%の人が何らかの形で責任をとるべきだと考えており、7割の人が日銀の今後の政策に影響が出ると考えていることがわかりました。

もちろん、福井総裁が法令違反を犯しているわけではありませんので、批判派が唱えるのは通貨のトップを司る者としての道義的な責任です。
もっともよく展開されている批判は、庶民感覚がわかっていないというもので、同時期に銀行の定期預金に預けた場合の利息との比較が引き合いに出されます。
つまり、庶民にこんな超低金利を強要している本人が、高利回りのファンドで資産を倍以上に増やしていたとは何事だという議論です。
こうした議論に対しては、元本割れのリスクがあるファンドに自ら投資したのだから、銀行預金と比較するのはナンセンスだという批判が展開されているようです。
いずれにしても、ものごとの本質を分かっていないのではないかと言わざるを得ないような次元の低い議論ですね。

以前、量的緩和解除の際に「試される日銀のコミュニケーション能力?」というタイトルの記事で、複雑で難しい政策判断を求められた際に、日銀がどのようなコミュニケーション能力を発揮するのかが今後の焦点であると書きました。
ゼロ金利を解除して金利を引き上げや引き下げによる調整を行っていく際に、「さまざまな利害関係者の思惑が交錯するなかで、的確に状況を判断して強いメッセージを発する」には卓越したコミュニケーション能力が必要とされると述べたわけです。
今回の騒動を踏まえて、福井総裁に日銀総裁としての資質が備わっていると言えるのでしょうか?

一般的にコミュニケーション能力を発揮するには、何よりも優れた情報判断力と市場からの厚い信頼が必要であることは言うまでもないでしょう。
複雑な政治経済環境を読み、ますます重要性が高まるマネーの世界を司る先進国の中央銀行総裁であれば、なおさらのことです。
米国連邦準備制度理事会(FRB)の前議長のグリーンスパーン氏などは、信頼性どころか神通力と呼んだ方が良いのではないかと思われるほどのパワーを持っていたことで知られています。
翻って日銀の福井総裁はどうなのでしょうか?
違法性の疑いが噂されるようになっても投資を引き上げず、自らの立場を支える信頼の源が何であるのかを判断できず、政権与党の政治的判断に基づくと思われる擁護に守られた人物が、適切な市場とのコミュニケーションを行っていけるのでしょうか?
道義的責任についての議論とは別に、一度しっかりと考えてみる必要があると思いませんか?
posted by SNR at 13:27| Comment(74) | TrackBack(25) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

これからの鉄道が果たすべき使命とは

少し前のことですが、阪急ホールディングスと阪神電鉄の統合が実現することになりました。
戦後初の私鉄再編が行われることになりそうですが、そのメリットとはどのようなものなのでしょうか?

5月24日に開かれたアナリスト向け説明会で、阪急HDの角社長は経営統合のメリットを4つ取り上げたそうです。
まず1つ目が都市交通事業による統合効果で、阪急・阪神の共通乗車券を発行すること、バス事業の一体運営によるコスト削減(操車場の統合削減など)、あるいは運行ダイヤ連動によるサービス向上などです。
2つ目が梅田地区の総合開発で、JR大阪駅北地区の再開発を、西梅田を拠点とする阪神と北梅田を拠点とする阪急が連動して行うことが想定されているようです。
3つ目が不動産事業で、住宅供給実績に富んでいる阪急と賃貸中心の経営の阪神が、統合により相互補完的に事業を進められるというものです。
最後に4つ目がリストラによる経営の効率化が挙げられるのだそうです。

さて、上記の4点について、僕自身は関西に住んだ経験がないため、どれほどのメリットであるのか実感がありません。
しかし、「村上ファンドの登場による仕方なしのものでなく、積極的な経営統合である」ということを主張するにしては物足りなさを感じてしまうのですが、みなさんはいかがでしょうか?
これまで関西でも関東でも、各私鉄会社は地域的な住み分けができており、運賃体系もビジネスモデルもほぼ横並びを続けてきました。
今回の角社長の説明も、@電鉄事業、Aバス・タクシー事業、Bターミナル駅での百貨店・ホテル事業、C沿線の住宅開発と不動産事業、という従来のビジネスモデルの枠を出るものではありません。

少し時代を遡って戦前の地下鉄に話を移してみましょう。
日本でもっとも古い地下鉄が今の東京メトロ銀座線であることは、みなさんもご存知かとは思いますが、渋谷−新橋間と上野−新橋間が別々の路線としてつくられたことを知らない方もいらっしゃるかもしれません。
上野−新橋間をつくったのは東京地下鉄道株式会社で、この会社を経営していた早川徳次という人は、新たなビジネスモデルをつくりだす才能に溢れた人でした。

例えば、建設途中で資金に行き詰ってしまったため、日本橋三越と交渉して駅名を「三越前」とする代わりに工事費用を捻出させてしまった話はあまりにも有名です。
今で言うところの「ネーミングライツ」のはしりですね。
あるいは、上野駅構内に「地下鉄ストア」という形でお店をオープンさせますが、これはJR東日本の「エキュート」や東京メトロ表参道駅の「エチカ」と同じ、「駅ナカビジネス」の発想です。
この後、神田駅、日本橋駅、銀座駅、新橋駅にも「地下鉄ストア」をオープンさせます。
現在では神田駅須田町出口方面に4店舗が残るのみだそうですが…。

このような新しいビジネスの発想を持った経営者は、もう現れないのだろうかと考えていたところ、小田急電鉄について面白い記事が紹介されていました。
小田急線は高架複々線化工事を行ってきているのですが、その高架下のスペースに系列スーパーや保育所、他社のホームセンターなどを誘致して、来年度の関連事業売上高を昨年の2倍に引き上げようというのです。
特に好感が持てるのは、商業施設だけでなく地元自治体の福祉施設や自治会館なども入居するというパブリックな要素が盛り込まれている点です。

これからの鉄道は単なる駅前や駅ナカの開発だけでなく、鉄道路線というインフラをフル活用することが求められていると思います。
そのなかでも、沿線の街づくりに貢献できるような開発を行うことと、利用客に快適で便利な通勤・通学を提供することが必要だと思います。

すでに、高架複々線化による混雑緩和に取り組み始めている小田急ですが、高架下の有効利用で街づくりに貢献して、さらにそこから得られた収益ですでに開始されている、自動改札を通過する際に携帯電話にメールで沿線情報配信する「小田急グーパス」などのサービスを充実させる。

こんなふうに新しいビジネスモデルを展開していくような発想が、他の私鉄でも次から次へと出てくれば、沿線もどんどん活気づいていくと思います。
これまでのビジネスモデルの枠を出ない、単なる規模の追求と効率化だけでは、あまりにも寂しい統合だとは思いませんか?
posted by SNR at 19:41| Comment(3) | TrackBack(6) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月09日

「いざなぎ」を超えた先にあるもの

神武・岩戸・いざなぎ…。
こんなことを言われても、僕もまだ生まれる前のことなので詳しくはわかりませんが、いよいよ「いざなぎ景気」(1965年〜1970年)を超えて、期間としては最大の景気拡大となる可能性が高いと言われています。

景気動向指数というのをご存知でしょうか?
現在の景気が上向きなのか下向きなのかを示すもので、さまざまな経済指標の中から複数を選択して、3ヶ月前の水準を上回る指標が全体のどれくらいあるかを算出するものだそうです。
4月の景気動向指数が発表されて、2002年2月から始まった現在の景気拡大は51ヶ月を迎えて、「バブル景気」(1986年〜1991年)に並び、戦後2番目の長さとなり、今年の11月には「いざなぎ景気」を抜くことは確実なようです。
よく新聞紙上などで言われている、「いざなぎ超え」ですね。

さて、いわゆる「いざなぎ超え」をする頃には、小泉政権も終わり「ポスト小泉」の時代に入っているはずです。
「いざなぎ超え」の後に我々の前に開けているのは、どんな日本経済の未来像なのでしょうか?

M&Aコンサルティング(通称:村上ファンド)の村上世彰代表の逮捕は、ホリエモン逮捕に次ぐ大きなショックを日本経済に与えています。
最近ようやく日本社会に根づきつつあった、ファンドの存在や経営者と株主の緊張関係が衰退していってしまうのではないかという懸念も一部には上がっています。
一方で、買収防衛策に走る企業が増えており、銀行による取引先株の持ち合いが復活し始めているようです。

そうこうしているうちに、昨日は日経平均株価が1万5000円を大きく割り込んでしまいました。世界同時株安が進む背景には、外国人投資家は国際的な金利上昇ムードを懸念して売り越しがあるようですが、日本固有の要因としても、個人投資家の萎縮が背景にあるようです。
そして何よりもその煽りを大きく食っている形なのが、ジャスダックやマザーズ、そしてヘラクレスといった新興市場の株価です。
新興市場の株価下落は止まる気配がなく、投資家はますます安定した大企業株へと流れる傾向が強くなっているようです。

そもそも、今回の景気拡大は小泉政権による「構造改革」と並行して進んできました。
「構造改革」の具体的な中身や、景気回復に果たした役割については、さまざまな意見があるとは思いますが、個人投資家にしても、新たにIPOを行う新興企業にしても、市場に参加できるプレーヤーを広げて経済を活性化させようという方向性については、多くの人が合意していたはずです。
ここ数年間、株式や経済に関するニュースが大きな注目を浴びましたが、「いざなぎ超え」をした後に描かれている地図が、かつてどこかで見たようなものであって良いのでしょうか?
今のうちにしっかりと考えておくべき問題ではないでしょうか?
posted by SNR at 21:42| Comment(5) | TrackBack(5) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

モリーの教え

ここのところ日経平均株価が大きく値下がりして、一時期は1万6000円台を切ったこともありました。
原因はいろいろ分析されていますが、これまで日経平均を押し上げてきた外国人投資家と個人投資家の売りが株価を下げている要因のひとつだと言われています。
また、ジャスダックや東証マザーズなどの新興市場も大きく低迷しており、短期取引で得られる利潤を追求してきた個人投資家の動きが鈍ってきているようです。
もちろん、ライブドアの上場廃止をはじめとして、ここに来ていくつかの企業の不祥事、あるいは不透明な財務体質や資本政策が明るみになり、それが市場全体の不信感を強めているのも事実です。
しかし、信用取引による無理な資金調達で投資を行なってきた投資家が、担保不足による追い証が発生する前に、損を覚悟で売り抜けるということも増えてきているようです。

投資にあまりにも投機的な面ばかりが目立つことに、僕自身は賛成していません。
今回の新興市場の低迷も、むしろ銘柄選別がしっかりと行なわれて、市場の健全化が進む契機となれば良いと考えています。

人類という家族に投資しよう。
人に投資しよう。
愛する人、愛してくれる人の小さな共同社会をつくろう。


これは『モリー先生との火曜日』、実在したブランダイス大学教授モリー・シュワルツの言葉です。
モリー・シュワルツは筋萎縮性側索硬化症(ALS:別名「ルー・ゲーリック病」)にかかり、徐々に体の自由が奪われて死を迎える中で、かつての教え子であるミッチ・アルボムに「人生とは何か」、「愛とは何か」といったテーマで、最後の授業を行ないました。

先週まで自分でできたことが、今週には介助なしにはできなくなる。
今週、自分でできていることも、来週にはできなくなるだろう。
そして近い将来、確実に死を迎えることがわかっている。

こういう自分の状況を絶望せずに受け入れ、人の愛を素直に受け入れ、さらに人を愛することを実践して見せることで、モリーは最後の授業を行なったのです。
もちろん、先ほど引用したモリーの言葉は、株式投資について述べたものではありません。
しかし、絶望的な状況で死を確実に迎える人間の強さと優しさに満ちた言葉には、そんなことは関係なくなるくらいの普遍性と真理が含まれていると思います。

株式投資が資産運用である以上、一定の利益を追求するのは当然です。
しかし、一方で社会に貢献する健全な企業の資金調達を助けるという社会的な側面があることもまた事実です。
社会に暮らす人々、企業であれば顧客や従業員、そして株主を大切にしない企業には、本来投資をすべきではないのです。
まさに人に投資することと、人を大切にしている企業に投資することは、本質的に同義なのでしょう。

物質的なものを抱きしめて、向こうからもそうされたい。
だけど、そうはうまくいかない。
物質的なものは愛ややさしさの代わりにはならない。
友情の代わりにはならない。

モリー・シュワルツの言葉を、いつも胸に刻んでおきたいものですね。
posted by SNR at 17:52| Comment(7) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月11日

ゆるぎない絆とは?

企業の株主総会シーズンが迫るなか、各社の決算発表が相次いでいますね。
日本経済新聞が集計した上場企業の2006年3月期決算では、企業業績は相変わらず好調のようです。
一方で、昨年から相次いだM&A騒動に対処するために、買収防衛条項を新たに盛り込んだり、株の持ち合いを増やしたりする企業も出てきているようです。

先日、日産のカルロス・ゴーン社長があるインタビューで、「M&Aよりも提携やタイアップの方が好きだ」と話していました。
買収をすれば必ず買収された側が、自分たちが外されると感じてしまうからだそうです。
ホリエモンによるニッポン放送買収から始まった一連のM&A騒動ですが、最近は少し鎮静化しつつあるような気がします。
長期的に経営を考えた場合、やはり無理な買収には大きなリスクがつきものなのでしょう。

いまチェ・ジウ主演の「連理の枝」という映画が公開されていますが、「比翼連理」という言葉があります。
これは白楽天の『長恨歌』に出てくる一節、

天に在りては、願わくば、比翼の鳥となり
地に在りては、願わくば、連理の枝とならん


から生まれた言葉で、「比翼の鳥」は二羽が一体にならないと飛ぶことができない鳥のことを、「連理の枝」はそれぞれの幹から出た枝がひとつにつながって木目がひとつになったもののことを差します。
玄宗皇帝と楊貴妃の愛をこう表現したことから、「比翼連理」とは仲睦まじい男女のことを指す言葉となったのです。

しかし、みなさんよくご存知のことと思いますが、「比翼連理」と称されるようなカップルなどは、まず現実には存在しないわけです。
誰しもが近づきすぎてはぶつかりあい、離れそうになっては手をつなぎあってバランスをとっているのでしょう。
「コーポレート・カルチャー」という言葉がよく使われますが、企業どうしが一緒になる場合も、それまでまったく違う道をお互いに歩んできているわけですから、ぶつかり合いになるのは当然です。
ましてや、いきなり買収をして不採算部門を切り捨てるようなやり方は、いたずらに相手の反発を招くだけでしょう。

以前、「『かんじんなことは目に見えない』のです」という記事にも書いたように、本当に深い絆とはお互いにたゆまぬ努力を必要とするもので、目に見えないものなのかもしれません。
企業活動でも同じことで、目に見える形にこだわるよりも、目に見えない信頼を大切にすることが、かんじんなのかもしれませんね。
posted by SNR at 18:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

「日出(いず)る国の工場」の未来

デフレ脱却と言われているが、日本の景気回復は本物なのか?
格差社会などと言われるが、本当に格差が固定化されるような社会になってしまうのか?
世界的な競争のなかで、日本はこれからどうなっていくのか?
こうした問題が新聞やテレビで取り上げられない日はありませんね。

一見すると順調そうな日本経済でも、国際競争の行方を考えると、やっぱり不安になってきてしまうのでしょう。
とりわけ、中国やインドなどをはじめとするBRICs諸国との競争は世界経済の大きな地殻変動を引き起こす可能性があるといわれています。
グローバリゼーションの恩恵を背に成長するこれらの国々との競争は、これまでの先進国国内の経済構造にも大きな影響を与えるからです。
彼らが生み出す安い輸出品が、先進国内の労働者の仕事と生活を脅かすというわけです。

中国の工場労働者数は1億900万人、先進7カ国のすべてを合わせても5300万人。
こういう数字だけ並べてみると、なんだか心配ばかりが先に立ってきますが、現実には我々も安い輸入品を購入したり、逆に購買力をつけたこれらの国の人々が我々の輸出品を買ってくれたりと、悪いことばかりではないのでなかなか複雑です。
そうはいっても、これまで工業製品の輸出で成り立ってきた日本が、いったいどうなってしまうのか、新たに付加価値があり競争力のある産業を育てることができるのかを考えてみることは必要でしょう。

もう20年近くも前に出版されたものですが、村上春樹・安西水丸共著の『日出(いず)る国の工場』という本があります。
この本は「結婚式場」や「人体標本工場」、あるいは「コム・デ・ギャルソン」など、普通の工場見学ではあまり思い浮かばないような場所を訪ねるエッセイで、結婚式場を「セレモニーを生産する工場」と捉えたり、コム・デ・ギャルソンを「思想としての洋服をつくる工場」と捉えたりする発想が、ずいぶん前から僕のお気に入りになっています。

例えば、結婚式場では「松戸・玉姫殿」に取材しているのですが、以下のような具合になります。
工場としての結婚式場、あるいは「結婚式場」という名の工場の原料は言うまでもなく新郎・新婦という名で呼ばれる一組の男女であり、その機械的推進力は専門的ノウハウと手なれたサーヴィスであり、中心的付加価値は感動(あるいはもう少し控えめに情緒の高揚)であり、その需要を支えるのは世間一般の「しきたり・慣習・習慣」である。
そのようにして結婚式場では今日も(それが仏滅でさえなければ)ひとつまたひとつと、「セレモニー」というきらびやかな商品が産みだされていくわけである。


結婚式場が国際競争力を求められる時代が来るのかどうか、僕にはよくわかりませんが、このような発想でいろいろな日本の産業を捉えてみると、あんまり肩に力を入れることなく、面白い発想が生まれてくるのではないかなと思っています。
例えば、「スタジオ・ジブリ」などに代表される日本のアニメーションは、莫大な資金を投資して派手なアクションを演じるハリウッド映画なんかと比較するよりも、精密な技術力で世界と勝負する日本の小さな町工場の延長線上にあると思った方が自然ではないですか?

とにかく、堅苦しく「日本のサービス産業は国際競争力という点で世界に遅れをとってきたから、新たなイノベーションを求め云々」なんて考えるよりも、ずっと生産的なのではないかと思います。
所詮は、これまで高品質・高付加価値の工業製品を生み出してきた同じ日本人がやることなのですから。
posted by SNR at 19:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

『青の時代』を考える

昨日の耐震偽装関係者逮捕以来、連日ニュースをにぎわせてきた人たちの動向が注目されていますが、ついにホリエモンの保釈が本日決定しました。
3ヶ月におよぶ拘留で彼の口から何も語られることはなかったようです。
もちろん、いろいろな事実関係は裁判を通じて明らかになるのでしょうが、マスコミ報道も世論の関心も、3ヶ月前とはガラリと変わってしまったことにあらためて驚かされます。
ホリエモン騒動やライブドアショックと名付けられ、まるで日本を揺るがす事態であるかのように騒がれたのは何だったのでしょう?
どうにも腑に落ちないので、今日は久しぶりにこの問題について考えてみたいと思います。

今風に言えば「東大生起業家」の山崎晃嗣が起こした「光クラブ事件」が、ホリエモン逮捕当時に注目されたのを覚えていらっしゃるでしょうか?
「光クラブ」とは山崎晃嗣が1948年に起こした金融会社で、月13%の高利回りを保証して資金を集め、その資金を月21から30%の高利で貸し付けるという事業内容をとっていました。
若い大学生が中心となって経営していたこと、派手な広告で注目をひく手法を用いたこと、1949年には銀座という東京の中心街にオフィスを構えたことなどが、ホリエモンとの類似性として指摘されたのでした。
警察に目をつけられて逮捕(物価統制令と銀行法違反)された山崎は、処分保留で釈放されますが、債権の取り立て問題に直面して最後には自殺をします。
一連の事件は、山崎自身の特異なキャラクターも相まって大きく取り上げられ、多くの人々の関心を引くことになりました。
この事件をモデルに三島由紀夫が小説化したのが、掲題の『青の時代』という小説です。

『青の時代』の主人公である川崎誠は、徹底した合理主義を標榜し、自分自身が神となりルールを設定するという支配欲を貫き、金以外のものを信用しないという虚無的な価値観を持つ人物として描かれています。
生活のためにやむを得ず金儲けに手を出したと述べる友人の発言を軽蔑して、「僕の金儲けには目的がないんだからね」と述べるくだり。
貸付利息と借入金利の差額から利益が捻出されるという実質的な信用よりも、派手な宣伝により人目をあざむく信用を重視していたというくだり。
「金は理解し、金が口をきく以外に、人間同士は理解される義務もなく、理解する権利もない、そういうユートピアを僕は空想したんだ」という最後の台詞など。
例を挙げればきりがないほど、ホリエモン騒動を考える上で興味深いことが次から次へと出てきます。

しかし、問題は小説の主人公そのものよりも、なぜ彼のような人物が現れ、脚光を浴びたのかという時代背景にあるはずです。
僕は三島の研究をしているわけではないので詳しくはわかりませんが、小説のタイトルが『青の時代』となっているように、ある種の時代性が背後に存在していることは間違いがないでしょう。
では、ホリエモンが注目を浴びた今を生きる我々は、この類似性からいったい何を学べば良いのでしょうか?

確かに「光クラブ事件」が起きた占領期も、バブル崩壊後の時期と同様に、社会の価値観や秩序が大きく混乱した時期であったのだと思います。
しかし同じ占領期にも、たとえばソニーやホンダなど、今日の日本を代表する企業も創業しているわけです。
後にカリスマと呼ばれるような起業家たちが、次々と起業をしているのです。
我々はホリエモン騒動の教訓として、日本社会の発展に寄与するような企業を応援すべきだということを、もう一度かみ締めるべきではないでしょうか?

人材育成やベンチャー支援などを行う株式会社「グロービス」の代表である堀義人氏は、「社長TV」http://www.shachotv.jp/)というネットコンテンツのなかで、「社会の創造と変革のためのインフラづくり」が経営理念であると発言しています。
確かにアジアNo.1のビジネススクールをつくるという野望も語っていますが、同時に200年後、300年後に残る大学院づくりをしたいとも述べています。
こういう社会にいかに貢献するかという長期的な視点、これこそが我々が本当に求めている社長像なのではないでしょうか?
ホリエモンが釈放されれば、またいろいろと世間を騒がせることになるでしょう。
一方で社長TVには、この他にもさまざまな社長のインタビューが掲載されています。
メディアの一時的な注目に踊らされることなく、どういう社長が世の中を良い方向へ変えてくれるのか見極める参考にしたいですね。
posted by SNR at 19:30| Comment(0) | TrackBack(6) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月13日

試される日銀のコミュニケーション能力?

「異常事態から平時」へ、金融政策のターゲットが「量から金利へ」と移った。
日銀が量的緩和解除を行ったことが大きく取り上げられました。
5年ぶりの金融政策の変更ですから、これも当然なのかもしれません。
そこで語れられていたことといえば、

またもやデフレ・スパイラルに逆戻りするのではないかという懸念。
住宅ローンなどを通じて、家計にどのような影響を与えるのか。
銀行の預金金利は上がるのか?
将来のゼロ金利解除をにらんで、国債利払いにどのような影響を与えるのか。
市場が金利に対する感覚を忘れているのではないかという不安等々。


しかし、もっとも大切なことは、日銀の福井総裁の「今後はわかりやすい政策に戻る、これに尽きます」という発言に表れていたのではないでしょうか?
もちろん、福井総裁が述べたかったのは、量的緩和という説明しづらい政策に終止符を打ち、今後は一般的な政策手段である金利の調整に戻るということなのでしょう。
しかし、本当にそういう普通の読み方だけで良いのでしょうか?

そもそも日銀の金融政策がとるべき役割は、市場と景気動向を的確に読み、ときに強いメッセージを市場に発してコントロールを行うことでしょう。
そこで求められているのは、市場と対話するコミュニケーション能力ではないでしょうか?
このように考えると、これまでの日銀の政策は異常ではあるが、大変にわかりやすいものだったと言えるでしょう。
とにかく、景気回復を優先して市場にお金を回すこと。
これだけが日銀の発するメッセージであり、その最後の手段こそが量的緩和という政策だったわけです。

しかし、これからはどうなるのでしょう?
日銀は当面いまのゼロ金利政策を続けていくと言っていますが、いつかは金利を引き上げるときが来るわけです。
そうなると、日銀が発するメッセージの意味は複雑なものとなってきます。
日銀が政策決定を行う環境も、きわめて複雑なものとなってくるわけです。

バブル経済のときにブレーキを踏むのは難しいということは、すでに経験していることです。
また、バブル崩壊後しばらく地価の下落を支持する声がやまなかったように、さまざまな利害関係者の思惑が交錯するなかで、的確に状況を判断して強いメッセージを発することは難しいものです。
複雑で難しい政策判断を求められた際に、日銀がどのようなコミュニケーション能力を発揮するのか?
生活に直結する住宅ローンや預金金利だけでなく、我々も見守っていく必要があるのではないでしょうか?
日銀が対話すべき市場に、我々も住んでいるのですから…。
posted by SNR at 21:20| Comment(5) | TrackBack(2) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月20日

ホリエモン再評価とその功罪

ライブドア本社の粉飾決算疑惑が持ち上がり、東京証券取引所は売買注文の殺到で大混乱。ついには元幹部の自殺騒動まで起こり、ライブドア関連の報道に世間の注目が集まる状況が続いています。
まさにライブドア・ショックという言葉がぴったりの状況になってきたなかで、ライブドアやホリエモンについての再評価が行われ始めています。

もちろん、東京地検の捜査が入っているわけですから、ホリエモン評価はまさに暴落です。
ホリエモンが行ってきた株式分割やM&A頼みの成長方法も、批判の的となっています。
また、ホリエモンが象徴と見られてきた「IT産業」や「ベンチャービジネス」、そして「ヒルズ族」などのITや株の長者も、信頼性や権威を失墜する危機に立たされています。
ホリエモンの登場によって株式市場に参加した個人投資家たちも、無知で倫理観のない市場の攪乱者であるかのような言われ方をしています。
いわく、「もともと胡散臭いと思っていた」「錬金術のマネーゲーム」「所詮は中身がない虚業」などというものです。
さて、こういう評価はいつまで続くのか?
本当にそういう評価ばかりで良いのかというのが本日のお話です。

世の中のものごとに対する見方が、大きく変わってしまうことがあります。
新しく生まれた見方を、「修正主義」(revisionism)と呼びます。
たとえば、高度経済成長を遂げた日本経済のシステムを絶賛した評価が、日米貿易摩擦が悪化したことにより、「ジャパン・リビジョニスト」(Japan Revisionist)という人たちが評価を180度変えてしまったことなどは、日本人にもなじみのあることでしょう。
今回のことでいえば、強制捜査を機に「新しい時代の寵児」などともてはやされたホリエモン、およびホリエモンがシンボルとなってきたものが、マイナスのイメージで見られるようになってきているわけです。

ところがこういう大きな変化には、しばしば大きな落とし穴があります。
ものの見方が極端にぶれる過程で、本当に大事なものまでも、悪いものとして切り捨てられてしまうことがあるのです。
当たり前のことですが、ホリエモンに関するありとあらゆる事柄を、すべて否定してしまうことがあってはなりません。

「みんなが絵を買えないとしても、プリントのポスターなら誰でも買えるじゃないか!」
これは現代ポップアートの先駆者である、アンディ・ウォーホールが言った言葉です。
ウォーホールは缶入りスープを描いたり、マリリン・モンローなどの有名人を描いたりして、それまで一部の人の趣味でしかなかったアートを大衆のものへと変えたわけですが、大量生産可能で廉価な版画やポスターを出したことも、当時としては画期的なことだったのです。

それまで一部の人しか享受できなかったものの門戸を開放すること。
それ自体は決して悪いことではありません。
多くの人に親しまれることで、ウォーホールのアート自体の価値も高まりました。
株式分割により多くの個人投資家が株に投資することができるようになり、ライブドアの株式時価総額が上がったことも、それ自体は決して悪いことでありません。
ただ、時価総額を釣り上げることが自己目的化して、そのためには不正な手段までも用いなければならなくなってしまったことが問題なわけです。

今回のショックがきっかけで、せっかく増えてきた個人投資家を減らしてしまってはいけないと思います。
株を外国人投資家や機関投資家のような大口投資家だけのものにしてしまっては、健全な株式市場が育たなくなってしまうでしょう。
ホリエモンが社会に提起してきたさまざまな問題は、株式分割以外にもあると思います。
これを機に冷静な判断をしたいものですね。
posted by SNR at 20:43| Comment(10) | TrackBack(4) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

SNRが斬る今年の重大ニュース! ライブドア:ホリエモンは日本人なのか?

2005年ほど株に関心が集まった年はなかったように思います。
ライブドアに始まり、村上ファンド、楽天、ジェイコム株…。
M&Aに始まり、TOBやLBO、あるいはポイズンピルやホワイトナイトと、いろいろな言葉もすっかり有名になりました。
ペイオフ解禁や日経平均の上昇と、株への関心を後押しする条件も整っていましたしね。
「ミニバブル」なんていう言われ方をして眉をひそめる向きもあるようですが、みんなの関心が高まったことは良いことだと思いますよ。
株式は資本主義経済を動かす大事な血流なのですから。

さて、タイトルに「ホリエモンは日本人なのか?」と書いたからといって、別にホリエモンの日本国籍を疑っているわけではありませんよ。
ドラえもんみたいに、ネコ型ロボットだなんて言いたいわけでもありませんよ。
当たり前ですけど…。

ホリエモンはよく「日本型システムへの挑戦者(あるいは反逆児?)」みたいな言われ方をするけど、本当にそうなのだろうか?
というのが、今回のテーマなのです。

メインバンクを中心とした系列企業どうしが築いてきた長期的な資本関係。
終身雇用や年功序列などに支えられた長期的な雇用関係。
行政指導や護送船団方式によって特徴づけられる政府介入。

こういった戦後の高度経済成長を支えてきたシステムはもう古くて時代遅れだと言われるわけです。

いわゆる「日本型システム」というものは、確かに日本が太平洋戦争への道を歩むなかで徐々に形成されていったものです。
軍備増強をするためには重工業化が必要で、重工業を興すためには莫大な初期投資や政府の支援が欠かせなかったわけです。
やがて国家総動員体制が敷かれ、戦争に敗れた占領体制下でも何万人規模の餓死者が出るのではないかという経済状態のなかで、政府による積極的な経済介入が行なわれたわけです。

では、それ以前の日本経済、つまり明治時代の日本経済はどうだったのでしょうか?
当時の日本経済は自由参入、短期的な契約関係、自由な労働力移動を特徴とする、いわゆる「新古典派」に近い経済体制だったわけです。
こんなふうに考えてみると、ホリエモンは明治時代に生まれていれば典型的な日本の実業家であったということになるのですね。

もっと視野を広げて、江戸時代にまで遡ってみるとどうかと言いますと、
まあ、ここら辺はいろいろと意見が分かれるところでしょうけど、長期的な関係と政府介入が特徴であったという意見もあるのですね。

では、典型的な日本型システムとは何なのでしょうか?

一口に「これこそが日本型だ!」と断じることは、ちょっと難しいのではないかなと僕は考えるのですね。
つまり、ホリエモンが典型的な日本人かどうかというのは愚問に近いのではないかと。

「いよいよ日本が人口減少時代に入ったと」いうニュースが話題になっています。
明治時代以来、ずっと人口が増え続けてきた日本社会が初めて人口減少の時代を迎えるのだそうです。
こういう観点から眺めてみると、これからの時代に必要とされている日本のシステムは何なのだろうかと思います。
明治時代のやり方なのか、戦後日本のやり方なのか、それとも江戸時代のやり方なのだろうかと…。
余談ですが、少子化に貢献しているという点では、独身のホリエモンは典型的な現代の日本人ですよね(笑)。
少子化問題に限らず、別の問題から考えてみると、また違う形の日本型システムが姿を現してきそうですね。

僕自身は経済であれ何であれ、社会の仕組みというものは何層にも積みあがった地層のようなものだと考えています。
日本社会という大地の上に豊かな緑を生い茂らせるためには、たとえ古い地層であっても決して無駄にはなっていないと
だから、「これが典型的な日本人だ」とか、「これが典型的な日本システムだ」とか、
そういった表面的に見える形で判断するのではなく、
日本社会という大地全体をいかに活性化させるかという視点で見るべきではないかな。
こんなふうに考えるわけです。

最後にもう一度だけ繰り返しておきますけど、
僕は決してホリエモンの日本国籍を疑っているわけではありませんよ(笑)。
posted by SNR at 22:36| Comment(5) | TrackBack(3) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月18日

SNRが斬る今年の重大ニュース! JR西日本尼崎脱線事故:消費者の選択とは何か?

「もし、自分が毎日利用している電車があんな事故を起こしたら…」
JR西日本が起こした尼崎脱線事故のニュースを見て、誰もが感じたことでしょう。
これまで他の交通手段よりも、安くて安全だと思われてきた電車です。
毎日の通勤・通学に欠かせない電車で、もっとも損なわれてはいけない部分が損なわれてしまったのです。
そして何よりも困ったことに、損なわれた安全が回復されたのかどうか、我々には確かめる術がほとんどないのです。

今年は色々な意味で企業のあり方が問われた1年でした。
ライブドアによるニッポン放送株取得問題では、「会社は誰のものか?」という言葉が繰り返し叫ばれていました。
もの言う株主、企業価値、敵対的買収防衛策…。
株主に正当な権利が付与されるべきでしょうし、経営者や従業員が安心して企業活動に勤しむことも大事でしょう。
企業に利害関係を持つ人たちをステークホルダーと呼びますが、
いつも後回しにされて忘れられがちなのが、消費者である我々だということがあらためて浮き彫りにされた1年だったとも言えるのではないでしょうか?

よく、「消費者の自己責任による選択」とも言われます。
加工品のトレーサビリティに問題があるものの、米国産牛肉についてはこういう議論も成り立つかもしれません。
しかし、電車という交通手段は一般の人にとって選択の余地のないものなのですよ!
そう簡単に引っ越すわけにはいかないし、在来平行線なんて滅多に存在しないし、ましてや車で通勤なんて誰もができるわけではないのですから…。

「企業の社会的責任」(CSR)という言葉もよく耳にするようになりました。
事故や不祥事が起こるたびに繰り返されたこの言葉ほど、虚しく響いたものはなかったように思います。
環境問題への取り組みや文化活動への貢献などは目に見えやすいですが、
安全と安心を守ることのように、目に見えにくいけど不断の努力を要するものは、損なわれて初めて意識されるものですから…。
企業が社会的責任を果たさなければ売り上げが落ちると言われますが、消費者側にほとんど選択権がないもの、検証手段がないものもたくさんあるのです。
マンション問題も同じことですよ。

こんな時代にいったい誰が消費者の権利を保護してくれるのでしょうか?
自民党の新憲法草案は愛国心を責務として規定しようとしていますが、
消費者を保護する文字はどこにも見えません。

「サイレント・マジョリティ」とよく言われます。
ひとりひとりの消費者の声はとても弱いものですから、
今回の事故報道もちゃんと消費者の立場から検証されるべきではなかったのでしょうか?
どうしたら消費者を守ることができるのかを…。
企業のニュースが多かった裏側には、いつも必ず「もの言えぬ注目されぬ消費者」が存在しているのですから。
たとえ事故などが起きなくても、いつも確かに存在しているのですから…。

当のJR西日本がATSの設置ミスを犯していることが11月に判明しましたが、
マスコミではほとんど取り上げられることがありませんでした。
今日も何事もなかったかのように電車は動いていました。
名前も知らない、ニュースで取り上げられることもない消費者たちをたくさん乗せて…。
posted by SNR at 21:15| Comment(4) | TrackBack(3) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!

「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!」

みずほ証券のニュースを朝の新聞で見て、まず頭に浮かんだのはこの言葉でした。
「証券市場に残る誤発注」なんて言われていますが、
単純ミスで300億円以上の損失とは、恐ろしい世の中になったものです。

よくご存じないという方のために少し解説しますと、
東証マザーズという新興企業向け市場に上場した「ジェイコム」という企業の株について、
1株61万円で1株という売り注文を出すところを、
1株1円で61万株と、みずほ証券が誤って発注したという話です。

この結果、67万2000円つけていたジェイコム株は、
わずか3分57万2000円まで下がりストップ安に。
慌ててみずほ証券が47万株ほど買い増したところ、
わずか6分ほどで77万2000円まで急上昇してストップ高に。
すべてがわずか15分くらいのうちに起こった狂想曲であります…。

詳しくはわかりませんが、
この結果、みずほ証券は61万株以上も実際に存在しない株を空売りしたことになり、
後になって47万株ほど空の買いをしたものの、まだまだ10何万株も実際には存在しない株が存在していることになるわけです。
取引成立の4営業日後には実際に株を譲渡しなければいけないそうですから、
いったいどうなってしまうのでしょうかね。

こういう話って、たしか東京都がネットで競売オークションをやったときもありましたよね。
確か高級ピアノを落札した人が1桁ゼロを間違えて入力したという話。
トラックバックの操作ひとつでも、しばしばミスをしている僕なんかには、とてもよくわかる話です。
かなりレベルの違う話ですけどね…。

証券のネット取引が一般化して、ミニバブルと呼ばれる現象が起こってきています。
一般の投資家が参加する垣根が低くなったのは良いことですが、
取引の自動化とスピードアップがときとして生み出す副産物もあるということなのです。

今回のことは余りにインパクトが大きすぎますがね。
それにしても、福知山線の脱線事故や最近のマンションの例まで、
何かを見失っているんじゃないかという重大ニュースが多すぎるように思いませんか?



「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!」
村上春樹の『1973年のピンボール』で、ジェイという登場人物が発する台詞です。
最近の小説『アフターダーク』でも使っているので、村上さんはかなりこの台詞を気に入っているのかもしれません。

資本主義というシステムは、それまでゆったりと流れていた時間の流れを、
切り刻み、加速化させ、人々を追い立てているような気がします。

特にインターネットによって、ますます加速化の度合いはひどくなっていると言えるでしょう。
そんな姿を垣間見るとき、この台詞をいつも思い出してしまうのです。
まあ、村上さんがどんな意図でこの台詞を使っているのかわかりませんけどもね…。
posted by SNR at 19:23| Comment(4) | TrackBack(17) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月06日

富裕層はホントに浮遊層?

今年の「新語・流行語大賞」が発表されましたね。
大賞は「小泉劇場」と「想定内(外)」。
さすがにキャラが立っている小泉総理やホリエモンは今年も強いですね。

我らが「ブログ」もトップテンに入っていることはめでたいとして、
毎年、いまひとつピンとこない言葉が必ず入賞していますよね?
今年だと「ちょいモテオヤジ」とかもそれに当たるんですが、
もっとびっくりしたのは、「富裕層」という言葉でした。

こういう言葉が選ばれちゃうご時勢なのですね。
「金持ち」という言葉が阿漕だから「富裕層」なのだそうですが、
「富裕層」の方がなんかかっちり階級化されているイメージがあって、
思いっきり下流に属する僕としては、ものすごくリアルに迫ってくるものがあるのですが…。


金融資産が1億円以上ある世帯は78万にも上るのだそうです。
こうした中に、あのヒューザーの小嶋社長も入るのかと思うと大変腹立たしいのですが、
「富裕層ビジネス」というのが次々と生まれてきているようです。
「レクサス」なんて言っているのはまだまだ甘いですよ!
1500万円の世界一周旅行!200万円のピアス!6000万円の時計!( ̄□ ̄;)

みんなで一斉に横並びでブランドに飛びつくのも考え物だけど、
なんで贅沢品っていうと、みんな揃いも揃ってこんなものばっかりなのでしょうね。
いわゆる「成金」っていうのと一体どこが違うのでしょうか?
なんか発想力に乏しいなと思ってしまうのは僕だけでしょうか…。

こうした「富裕層」が生まれた背景は「資産バブル」などいろいろあるのでしょうが、
所得税の最高課税率が37%という驚くべき低い水準に抑えられていることがあるのは間違いないでしょう。
その一方で、財政赤字は膨らみ続けて定率減税の廃止などが行なわれるわけです。
「富裕層」からもっと税金をとってくれよ!
こういう意見が出てくるのは当然のことでしょう。

しかし所得税の最高課税率を上げるという話になると、
必ず出てくるのが、あまり税率を上げると彼らが海外へと脱出してしまうという議論です。
富裕層は本当に「浮遊層」になってしまうものでなんでしょうか?

確かに高額所得者の税率を上げたところで、政府が無駄遣いばかりするわけですから、高額な買い物をすることで市場におカネを還元してくれる方がまだマシなのかな?
そんな気もしないでもありません。
ただ、やっぱり「富裕層」の方にはもうちょっと社会のことを考えてほしいものです。

企業の社会的責任(CSR)になぞらえて、
「富裕層の社会的責任」(Wealthy Social Responsibility?)とでも言えば良いのでしょうか?
寄付などの慈善活動を通じてでも良いから、自分たちが豊かになった社会への貢献というものを実践してもらいたいですよね。
ちょうど歳末助け合いの時期ですしね。
posted by SNR at 22:30| Comment(6) | TrackBack(2) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月02日

病も景気も気から?

日経平均株価が1万5000円台を回復したそうです。
東証の時価総額はバブル期の8割へと達しているそうです。
原油高によるかさ上げがあるにしても、消費者物価はプラスに転じているようです。
ボージョレー解禁日には、「ボージョレー風呂」なるものに入って喜んでいる人たちがいました。
プランタン銀座の調べでは、クリスマスで女性が男性に期待するプレゼントの平均価格は6万496円なのだそうです。

どうです?
何となく景気が良くなったような気になってきましたか?

まだなかなか無理かもしれませんね。
何せバブル崩壊以後、「失われた10年」と言われ続けてきたのですから…。

「日本の景気は回復したのだろうか?」
日銀の金融緩和解除なんて難しいレベルの話じゃなくても、
巷でよく話題になる問題でしょう。
ちなみに僕個人の感想を述べさせていただくと、
世間のムードなんかに惑わされずに、マイペースで行けばいいんじゃないか、
こう思うわけであります。
ノーテンキすぎるのかもしれませんが…。

「生きていると、どうやらリスクというものがつきものらしいぞ」
この10年間で、日本人の多くの人が学んだような気がします。
それはそれで、とても良かったと思うのですよ。
グローバル化で開放性が高まり、社会の流動化が進んでいけば、
これは致し方のないことなのですから。

結局のところ、
世間のムードがどうあろうとも、自分で将来設計を立ててスキルを磨くこと。
これこそが最大の武器なのではないでしょうか?
景気が悪くて会社がスキルアップをさせてくれないのであれば、
自分でビジネス・スクールに行ったり、資格取得を目指したりすればいい。

と思っていたら、すでに株式会社がMBAを提供するような時代になっていたのですね。
なんでも構造改革特区制度を利用して新しい大学院が誕生するらしいですよ。
http://self-revolution.seesaa.net/article/6120831.html

とうとう教育の世界にも構造改革の波が押し寄せてきているのですね。
どこかで何かを失えば、その分どこかにチャンスが転がっている。
そうそう悪いことばかりではないのです。

とにかく、
景気が悪いからといって、自分の心意気まで挫けてしまってはどうにもならないのですから。
景気の良し悪しに左右されない強い心意気をもつこと。
口で言うほど簡単なことではありませんが、そんな人たちが社会を真に活性化させることができるのだと思います。
景気なんていうものは、所詮みんなの気の集まりなのですから…。
posted by SNR at 18:31| Comment(1) | TrackBack(1) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月15日

六本木ヒルズは何でも売っているのか?

やれやれ、
冒頭からこんな言葉もなんですが、
六本木ヒルズを拠点とするIT企業家たち、通称「ヒルズ族」の方々は、
この世の中に買えないものは何もないと思っているのでしょうか?
楽天がTBS買収を狙っているのだそうです。

こうなると誰もが思い出すのが、あのホリエモン騒動。
でも、あのときと違うのは敵対的買収と受け取られないように、
株を15%程度しか買っていないことなのだそうです。
つまり、ホリエモンに比べて三木谷さんの方がスマートで紳士的だと…。

でもね、やり方がどうであろうとも、
「自分たちは魅力的なコンテンツに乏しいから、とりあえずお金で買ってしまおう」
という根本は同じじゃないですか。

まあ、お金で世界の安全も買えると思っている国のことですから、驚くには当たらないのかもしれませんが。
それだったら、ホリエモンのように素直に
「お金で何でも変える」って言ってもらった方が、よっぽどすっきりしますよ。

別に「ネットと放送局の融合」がいけないと言うわけではないんですよ。
問題はそれで何をするかってことでしょう?
ただ、コンテンツをネットで流せば便利になるとかじゃなくて、
もっと、ネットの双方向性を生かせば、こんなに面白くて、まったく新たな形の(たとえば、視聴者参加型の)コンテンツをつくることができるとか。

こういうことを言えば、視聴者だけでなく、何10年もプライドを持ってコンテンツづくりをしてきたTBSの人も説得できると思うのですよ。
だって「より良いコンテンツが提供できる」となったら、テレビ局の人たちだって燃えるでしょう。
そういうのがないから、「ただお金もうけがしたいだけだろう」と思われてしまうんですよ。
つまり、「お金もうけ以上の夢がない」と。

まあ、色々と独断と偏見で書いてしまいましたが、今後どうなるのか楽しみに見守っていきましょう。
posted by SNR at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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