2006年05月26日

ポスト小泉の振る舞い

先日の安倍官房長官の立候補宣言で、ポスト小泉レースは事実上、安倍氏と福田氏の一騎打ちに絞られてきた感があります。
各種世論調査の結果を見ても、先行する安倍氏を福田氏が猛追するという図式がはっきりしてきたようです。
まだ実際の総裁選までは3ヶ月以上もあるので安易な予想はできませんが、国会終了後にしっかりとした政策論争が行われることを望むばかりですね。
そのためにも、教育基本法、共謀罪、あるいは国民投票法といった重要法案や、社会保険庁による年金納付率偽装や米国産牛肉の輸入再開といった問題に対して、彼らがどのような態度を見せるのかにも注目しておきたいものです。

さて、本日のテーマは政治家のパフォーマンスについてです。
これまで長い間、「パフォーマンス」という言葉は、政治家にとってマイナスイメージ以外の何ものでもありませんでした。
しかし小泉総理の在任5年間で、政治家が人気を得るために必要な要素として、すっかり定着してしまったような気がします。
先日の『ニュース23』で田原さんと対談した筑紫キャスターが、「世界中どこを見渡しても、あれだけ毎日テレビに登場する指導者はいない」と言っていましたが、我々も知らず知らずのうちに、すっかりそのペースに乗せられてしまっているのでしょう。

僕の個人的な意見としては、政治家にとってある種のパフォーマンスは必要であると考えています。
ただ、あまり「パフォーマンス」という言葉を安易に使いたくはありません。
むしろ、古くからある日本語である「振る舞い」という言葉を使いたいと思っています。
理由はそんなに難しいものではありません。

振る舞いという言葉には2つの意味があります。
ひとつは、「振る舞うこと、挙動、あるいは態度」という意味で、「立ち居振る舞い」などという使われ方をします。
もうひとつは、「ごちそうをすること、もてなし、あるいは供応」という意味で、「大盤振る舞い」などという使われ方をしますね。
両者の違いを、お分かり頂けたでしょうか?

「振る舞う」という言葉には、単なる態度や挙動という意味だけではなく、相手のために何かしてあげるという「もてなしの心」が含まれているのです。
政治家がパフォーマンスをする際にも、自分の私利私欲だけを求めるのではなく、相手、つまり国民のために行動するという側面を持つことを忘れないでいただきたいですよね。
「パフォーマンス」ではなく、「振る舞い」という観点から、ポスト小泉レースを見ていくというのはいかがでしょうか?
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2006年04月21日

「山笑う」季節に誰が笑っているのか?

民主党がメール問題からの立ち直りを見せつつある一方で、
国民的な議論を巻き起こすことなく行政改革推進法案が衆議院を通過してしまいました。
姉歯元建築士の名義貸し、木村建設の粉飾疑惑、イーホームズの架空増資疑惑と、
耐震偽装問題の関係者たちの不正疑惑が次々と報道され始めています。

桜も散り新緑の季節がやってきましたが、何か変だなという気がしませんか?
行政改革を正しい方向で進めていくことも、耐震偽造問題の原因を明らかにして改善をしていくことも、どちらも重要な問題であるはずですが、マスメディアはそれをしっかりと伝えているのでしょうか?

行政改革推進法案が衆議院で審議され始めたのは4月2日のことでした。
景気回復の波を続行させること、無駄な歳出削減によって財政再建を図ること。
どちらにとっても重要な法案が、この行政改革推進法のはずでした。
しかし、テレビを中心としたメディアがこぞって取り上げていたのは、民主党の代表選挙に関する話題で、登場してくるのは、渡部恒三国対委員長や小沢一郎新代表の顔ばかり。
かんじんな法案の中身については、ほとんど報道されませんでした。
一方で、しばらくニュースがなかった耐震偽装問題ですが、こちらは姉歯元建築士の名義貸しや、木村建設の粉飾疑惑、イーホームズの架空増資疑惑と、またもや犯人探しの報道ばかり。

春の季語に「山笑う」というものがあります。
新緑が次々と芽生えてくるこの季節に、確かに「山笑う」という表現はぴったりなのでしょう。
しかし、どうやら国民にとってあまり喜ばしくない「笑い」を浮かべている人たちがいるような気がします。
先ほど挙げた2つの例を見れば、みなさんはお分かりになりますね。

行政改革推進法の最大の焦点は、公務員の削減であると言われています。
国家公務員を5年で5%以上純減、地方公務員を4.6%以上純減など、有権者にはそれらしい数字が踊っていますが、本当に大切なことはスリムで効率的な政府を目指すことであるはずであり、単なる数合わせではありません。
無駄な特別会計を廃止したり、不透明な随意契約や談合をなくしたりなど、有権者が圧力をかけて進める改革はいくらでもあるはずです。
しかし、そういう議論も起こらないままに、与野党議員のパフォーマンスの影で法案は通過していこうとしているわけです。

一方の耐震偽装問題も、本当に責任や改革を迫られているのは、偽装をやすやすとできるような仕組みをつくってしまった政府であるはずです。
イーホームズを確認資産機関として認可したのは国ではなかったでしょうか?
こちらもそういう議論が起こらないままに、関係者への捜査ばかりが取り上げられて、まるで問題が解決していくかのような錯覚が与えられているのです。

「山笑う」季節に、もっとも大きな「笑い声」をあげているのは、もしかしたら官僚たちなのかもしれません。
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2006年04月14日

二大政党というフィクションを超えて

ずいぶんと長い間お休みしてしまい、久しぶりの記事アップとなります。
みなさん、お元気ですか?

さて、お休みしている間にも、いろいろなことが起きましたね
小学校高学年への英語必修化、沖縄普天間基地の返還問題、教育基本法の改正問題等々です。
このようにブランクを空けてしまうと、どのテーマから再開しようか困ってしまうのですが、
今日は新たに小沢氏を新代表に選出した民主党について取り上げたいと思います。

小沢新代表が「ニュー小沢」を掲げて、党内融和を図りながら、戦う姿勢を見せていることは、みなさんもご存知のことでしょう。
野党が与党に戦いを挑むのは当然のことですし、受ける自民党の側も戦闘姿勢を見せており、これは歓迎すべきことだと思います。
前原前代表のときは、子ども扱いされている面が目立ちましたからね。

しかし、ここでひとつ忘れてはならないことがあると思うわけです。
今回の騒動の発端となった、永田前議員も未熟ながらもメール問題で戦う姿勢を見せていたということです。
ただ、何が問題であったかあというと、「戦う姿勢ができていないのに、無謀な戦いを挑んでしまった」。
これに尽きるのではないでしょうか?
僕個人はこうした無謀な戦いを挑んだ背景に、「二大政党というフィクション」があったのではないかと思います。

太平洋戦争に突入していく日本陸軍に、面白いエピソードがあります。
日本陸軍は攻撃力も防御力も格段に違う自軍の戦車を、戦車であるからにはどの国の戦車も同じであるというフィクションを前提にして戦っていたのです。

またもや戦争の反省かと思う方には、不良債権の話をしましょう。
バブル崩壊後、長期に渡って不良債権は存在しないというフィクションを前提に、その処理を徒に遅らせてきたことは、みなさんの記憶にも新しいでしょう。
こういう事例はいくらでも転がっています。
例えば、年金制度は安心というフィクションを前提に行った年金制度改革や、株式時価総額というフィクションを前提にM&Aを繰り返していたライブドア等々です。

フィクションは大きくなればなるほど、繰返し唱えれば唱えるほど、後々から見れば奇妙なほどに、人間や社会の行動を規定してしまうものなのではないでしょうか?
民主党の場合も、「昨年の総選挙で大敗を喫したとはいえ、二大政党なのだから、自分たちには政権をひっくり返す力があるのだ」という、フィクションに基づく安易な発想があったとは言えないでしょうか?
そしてメール問題で、情報力や組織のマネジメント能力という点で、まったく比較にならない政党であることを見事に露呈しまったというわけです。

新たに発足した小沢民主党は、職員を含めた組織をしっかりと立て直し、たとえ小さな勝利であっても、地に足の着いた政治活動で得る必要があるのではないでしょうか?
健全な野党のないところに、健全な与党は育たないわけですから。
まずは千葉7区での補選を、有権者もしっかり見つめていきたいものですね。
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2006年03月02日

民主党は坂の上に何を見ていたのか?

渡部恒三元衆院副議長の民主党国対委員長就任と、きわめて異例な人事が行われました。
9月に控えた代表選挙をにらみ、たらい回しにされた人事を長老が引き取ったという形なのでしょうか?
しかし、永田議員の爆弾発言に始まった一連の騒動を振り返ってみると、この2週間はいったい何だったのかという虚しさだけが残ります。

「半年や一年は大いに暴れてみせましょう」
連合艦隊司令官の山本五十六大将がこう述べて始まったのが、あの悲惨な結末を招いた太平洋戦争でした。
まさか「1週間や10日は大いに暴れてみせましょう」と思ったのではないでしょうが、今回の永田議員の質問は、「そのうち新たな証拠もみつかるだろう」という見切り発車だったようです。
その結果、本人だけでなく二大政党の一翼を担うはずであった民主党に大きなダメージを与え、国会や政治そのものに対する不信感を高めてしまいました。

ところで、このように書くとまたもや太平洋戦争のときの教訓なのかとうんざりする方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、軍事的観点から見て冒険主義的な戦争を戦ったという意味では、日露戦争も同じようなものでした。
大国ロシアの隙をついて初戦の勝利を収め、何とか外債で戦費をつなぎながら、アメリカの仲裁に身を委ねるというのが、大雑把ながらも日露戦争の本質だったのです。

しかし、当時の日本国内の世論はそんな現実を知らずに、主戦論が大いに幅をきかせていました。
戸水寛人を筆頭に、東京帝国大学教授を中心としたエリート集団が、奉天会戦の勝利に乗じて「バイカル湖まで攻めよ」などという無謀な論調を煽ったのです。
同じ東大出身の永田議員を同罪だとは言いませんが、エリートが情勢を読めずに見切り発車をしたという点では似ていると思います。

このように薄氷を踏むような勝利であった日露戦争ですが、勝利という甘い現実を前に教訓として生かされることがなかったようです。
そして太平洋戦争の敗戦という形で、苦い体験を味わうことになったわけです。
ちなみに日露戦争の実態が明らかになったのは、戦後になって機密文書が開示されてのことでした。

しかし、いかに日露戦争が危ういものであったとはいえ、その背景には多くの人が認める日本の国益が存在していました。
まさに坂の上には曲がりなりにも国益というものが存在していたわけです。
さて、今回の民主党はどうでしょうか?
3月2日、2006年度予算案は何事もなかったかのように衆議院を通過していきました。
民主党は坂の上にいったい何を見ていたのでしょうか?
posted by SNR at 22:25| Comment(3) | TrackBack(7) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

「ずるずるべったり」の行方

いわゆる「送金メール」問題で永田議員が謝罪会見を行いました。
民主党が永田議員に下した処分は半年間の党員資格停止で、合わせて野田国会対策委員長も辞任する模様です。
自民党側はまだ怒りが収まらないようですが、国民の立場から見れば騒動の発端から処理に至るまでに露呈した民主党の稚拙さがもっとも気になる点ではないでしょうか?
民主党による一連の対応のまずさはしっかりと反省されて、今回指摘されたさまざまな問題点が改善されるのかを見守るべきだと思います。
しかし、今回の騒動では一方的に民主党が株を下げたかのような印象をもたれていますが、果たして本当にそうなのでしょうか?

先日、日本総研理事長の寺島実朗氏が指摘していましたが、イラク戦争の際に大量破壊兵器があるという誤った情報に基づいて自衛隊のイラク派遣まで行ったのは、当の自民党政権だったわけです。
アメリカにしてもイギリスにしても、あのときの情報は誤りであったということが後に明らかにされ、それなりの検証が行われましたが、日本ではどうだったでしょうか?
小泉総理は「自衛隊の活動している地域は非戦闘地域」などという意味不明な逃げ口上を打つだけで、自己検証というものをまったく行いませんでした。
軌道修正をいつまでもできずに、ずるずると進み続けてしまうのは民主党だけの特質なのでしょうか?

日本における「歴史とはつまるところ思い出だ」と述べたのは小林秀雄氏のようですが、戦後を代表する政治学者の丸山真男氏は、同じように日本の伝統思想のあり方を「ずるずるべったり」という言葉で表現しました。
すなわち、日本人は過去と自覚的に向き合わないままに新しいものを次々と取り入れる。
このため過去はいつまでも客体化されず、「ずるずるべったり」と現在のなかに滑り込んでくるというわけです。
もう少し敷衍して述べると、日本人は過去の過ちに真摯に向き合い何が問題点であったのかをはっきりさせることができず、自己批判や自己検証をすることが苦手であるということにはならないでしょうか?

このように考えてみると、いつまでも戦争責任にけじめをつけることができずに靖国参拝問題を引きずり続ける日本の姿も、どことなく同じような構図に見えてきます。
「ずるずるべったり」の構造については、どうやら日本人全体で真剣に考えてみる必要があるようです。
今回の騒動についても、民主党はしっかりとした原因究明を行い、より良い国会論戦を目指して再出発していただきたいものです。
単なる個人の責任論に終始するのでは、またもや「思い出」を増やすだけですから。
posted by SNR at 21:18| Comment(4) | TrackBack(27) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月24日

明らかになった政権担当能力?

さまざまな重要ニュースを押しのけて世間を騒がせた「堀江メール」問題ですが、当の永田議員は静養と称して入院をしてしまいました。
一方で民主党の前原代表は、永田議員は辞職する必要がない、メールの信憑性についても偽者であるとは思っていないと発言したようです。
民主党幹部が主張しているように、メールの真贋よりも武部幹事長とライブドアの関係をめぐる疑惑を明らかにすることの方が大切だと思います。
しかし、それはあくまでもきっちりと自分たちの責任をとってからであることは言うまでもありません。
まずなされるべきことは、自分たちに降りかかってきた火の粉を振り払って、きっちり始末をつけることだと思います。

永田議員の入院と同じ日、伊藤公介元国土庁長官の政治倫理審査会が開かれました。
耐震偽装事件発覚の2日前に、小嶋社長と国土交通省幹部の面会を取り持ったことなどを含め、口利きや金銭授受があったのではないかという疑惑についての政倫審です。
疑惑の解明とはほど遠い内容のものでしたが、自民党からは早くも幕引きの声が上がっているといいます。
昨年末から民主党が追及を続けてきたこの問題についての報道は、メール騒動の前に明らかに小さな扱いに終わってしまいました。
このまま逃げ切り勝ちとなってしまうのでしょうか?

この2つの問題の背後には、政治家の「危機管理能力」という問題が大きく影を落としているように思います。
伊藤公介元国土庁長官の逃げ方は誠実さとはほど遠いものであり、お世辞にも誉められたものではありません。
しかし「危機管理能力」という観点から民主党の対応と比較したとき、自民党議員たちの能力の方が格段上だなと感じてしまう人は多いのではないでしょうか?
というのも、危機管理能力が自らの置かれた立場に対する合理的な計算に基づくものである以上、単純な誠実さとは相容れない部分があるからです。

今回の騒動を見て、2年以上前に起こった民主党の古賀潤一郎元議員による学歴詐称事件を思い出してしまいました。
あのときも自分に降りかかった火の粉を払うことができず、民主党の側も処分に手間取り大きく評価を下げました。
自分の身に降りかかった危機管理もできずに、内政・外交のさまざまな危機に対処することなどできるのだろうかと感じたのを思い出します。
あれから2年が経ち、一昨年の参議院選挙で躍進した民主党は、昨年の総選挙で惨敗を喫しました。
新たなスタートを切った前原民主党は、対案路線を掲げて国会論戦を挑むはずでした。
民主党はあのときから何も変わっていないのではないでしょうか?

日本でなぜ政権交代が起こらないのかについては、いろいろな議論があります。
これからの政権政党に政策立案能力が求められることは間違いないでしょうが、政権交代への最大の障壁は「危機管理能力」にあるのではないでしょうか?
ちらちらと垣間見える野党の危機管理能力不足も、有権者が選択を渋る大きな要因のひとつなのではないでしょうか?
「安全国会」を掲げる前に、民主党には自らの危機管理を徹底できるような政党に生まれ変わってもらいたいものです。
posted by SNR at 21:52| Comment(5) | TrackBack(20) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月22日

野党が劇場型を狙ってどうするのか?

「堀江メール」問題で注目された党首討論が行われました。
一方で、ライブドアの熊谷取締役の逮捕を含め、堀江前社長らの粉飾決算容疑による再逮捕も行われました。
ライブドア問題はいろいろな意味で新たな段階に入ったと言えるでしょう。

時間切れ終了に、民主党の肩透かし。
残り10分を切ってから問題を切り出し、国政調査権の発動を求めただけに終わった今回の党首討論に対する評価です。
おまけに、民主党内部の分裂も漏れ聞こえてきており、くだんのメールは国会内の政争の具ではなく、民主党内の政争の具に使われているのではないかとの声すら出ている始末です。
当の永田議員はホテルにこもりっぱなしで、このままでは「ひきこもりの狼少年」というレッテルを貼られても仕方がないのではないでしょうか?

ちなみに僕はメールの真贋や、金銭授受があったかどうかの判断を現時点でするつもりはありません。
また、ライブドアと政界をつなぐお金の流れについては明らかにされるべきだと思っていますし、民主党がそれを追及すること自体について批判したいわけでありません。
ただ、こんなお粗末な劇場を見るくらいならば、しっかりとした政策論争を展開してほしいと願っているのです。

ニュースではほとんど取り上げられないと思いますが、実は前原代表はメール問題の前に2つ質問をしました。
ひとつが公務員削減を含む行政改革問題で、もうひとつはモラルと学力の低下を中心とした教育問題でした。
景気回復が本格化したとはいえ、開かれた健全な経済の育成を目指し、日本の長期的な国際競争力を高めるためには、どちらも大変に重要な問題です。
しかし、2つの問題についての前原代表の質問はきわめて不十分なものでありました。
小泉総理に長々と持論を述べさせるばかりで、その矛盾や問題点を指摘したと言えるものはほとんどありませんでした。

確かに昨年の総選挙で、民主党は小泉劇場の前に惨敗を喫しました。
だからといって、弱体化した民主党までが「劇場型」を演出しようとしてどうするのでしょうか?
しかも、このままいけば相当にまずい脚本と演出だったということになってしまいます。

大きく敗れたとはいえ、「刺客や郵政1点張りの選挙のなかで、さまざまな重要政策を訴えようとしていたからこそ民主党に投票した」という人たちだってたくさんいたのではないですか?
そういう有権者の期待を裏切るようなことはしてほしくないものです。
朝日新聞の星浩編集委員が、岡田前代表の効果で衆院予算委員会の空気が引き締まってきていると書いていました。
「政治家が真面目であることが問題であるような言い方が世間にあるが、僕には理解できない。政治は真面目なものですよ」
岡田前代表の言葉をしっかりと受け止めてもらいたいものです。
posted by SNR at 20:21| Comment(4) | TrackBack(27) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月17日

おカネの話題でしか盛り上がれない軽い国会なのか?

民主党の永田寿康議員による爆弾発言が物議を醸していますね。
ホリエモンが自民党武部幹事長の二男におカネを振り込むように指示した社内メールが、あるとかないとか。
もちろん事実関係の解明は行われるべきですが、果たしてこれは国会でいま議論されるべき大事な問題なのでしょうか?

「くどいようですが現代日本は軽い国家です。これを正視しなければいかなる議論もカラブリだと思います。たとえば、権力といっても権力ではない。自民党だって、握っているのはせいぜい利権というべきものといえるほどのものであって、権力ではない」

以前アップした「軽い国家の重い病?」の繰り返しになりますが、これは司馬遼太郎が35年以上前に書いた「日本史から見た国家」のなかの一節です。
「日本という国家にあるのは、せいぜい利権だけだ」というのは、今もあまり変わっていない現実なのではないでしょうか?
事件化した防衛施設庁の官製談合だけでなく、特殊法人への天下りは2万人を超えているといいます。
採算性だけでなく安全性まで疑問視されていたはずの神戸空港が開港しました。
BSE問題の自民党調査団がわざわざ同じ施設を調査しに行った目的は、民主党の主張をつぶすことだったようです。
そして、今回の「ホリエモン・メール」問題です。

ここ最近の政治はいったい誰の方を見て行っているのでしょうか?
おそらく政治家のみなさんは、みんな一様に「国民の方を見ている」と主張するでしょうが、いちばん大事なことは「国民によって構成される国家」を見て政治を行うことなのではないでしょうか?
上に挙げたようなことは、一部の利権のために行っていることとしか思えません。

「軽い国家どころか、国家という体をなしているかどうかわからない。…単に税金をとるだけの機関という感じの国家というものでしかないのではないか。ここにはきわめてたくさんの自由があるけれども、義務というものはほとんど銭金だけで済まされている。つまり税金だけでなりたっている国家になってしまった」

「銭金だけの軽い国家」」とは、単に税金をとられる国民の意識だけではないようです。
政治家や官僚だけでなく、最近は社会を揺るがすニュースすらも、おカネが絡むものがあまりに多いような気がしてなりません。
日本で国家や市民意識がしっかりと芽生える可能性については、司馬遼太郎も実は悲観的な見方をしています。
再び戦争でも起こらない限り、地方や企業を越えるような帰属意識にとどまるのではないかと考えています。

しかし、あれから35年の歳月が過ぎて、日本でもようやく「国家とは何か?」とか「市民社会とは何か?」という議論が芽生えて始めていると思います。
国会議員が利権やおカネの問題しか興味がないのであれば、次の選挙で「本当に国家のことを考えている議員」に投票すれば良いわけです。
トリノオリンピックの影で、「軽い国会」が行われていることも忘れてはならないのでしょうか?
posted by SNR at 19:56| Comment(4) | TrackBack(6) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月08日

軽い国家の重い病?

病の軽重は分かりやすいが、国家の軽重をどうやって判別するのか?
そう思われる方も多いかもしれませんね。
一口に「軽い国家」と言っても、十人十色でさまざまなイメージを持つのかもしれません。

日清戦争に新しい時代の息吹を感じて舞い上がった正岡子規を、「新品国家が最初の外戦をしたために肺病やみのこの文学者までが無邪気きわまりない昂揚を見せた」と評した司馬遼太郎は、「昭和に入って国家は重くなった」と述べました。
「明治のひとびとにとってときにロマンティシズムの源泉でありえたような存在ではなくなり、国家そのものが狂気の思想と道徳をもち、それを好まぬ国民には牢獄を用意した」というわけです。
軍国主義と対外拡張に走った国家権力のあり方そのものというよりは、人々の意識における国家の重みを論じているわけです。

国家の軽重について、司馬遼太郎はさらに続けます。
戦後、急に国家が軽くなった。…その(保守党政治の)政治意識といえば地方や職域の利害や遺族会や農業団体などのぶんどり意識だけであって、国家というこのきわめて形而上的な思考を要する概念はとらえがたいものになった」と。

司馬遼太郎がこのように述べたのは1969年のことです。
あれから37年もの歳月が経ちましたが、国家の軽重はどうなってしまったのでしょうか?
「偽りの議員年金廃止法」や「防衛施設庁による官製談合」と、あまりに国家をなめたような問題が次々と明るみになっています。
ちょっとでも隙があれば、国家の公金をだましとって私服を肥やそうという意識は議員や公務員ばかりにとどまりません。
東横インによる違法改築では、税制上の優遇措置を利用して税金をだまし取っていたことになります。

2月7日放送の「ワイド!スクランブル」をご覧になった方はご存知でしょうが、独立行政法人への海外天下り出向を通じて私服を肥やす官僚もいるのです。
海外に赴任すると、民間人は渡航先の現地政府に対する、公務員は日本政府に対する納税義務を負っています。
しかし、独立行政法人による海外赴任者の多くは現地政府に対する税金を法人が肩代わりしているため、本人は一銭も税金を納めないという特権が生まれているのです。
もちろん、法人が肩代わりしているお金は日本国民の税金から支払われているのです。

番組では2001年に日本労働研究機構パリ事務所に出向した、厚生労働省出身の官僚(40歳)のケースが紹介されていました。
本給672万円に倍以上も上乗せされた諸手当で年収が1800万円以上もある上に、パリ市に支払う住民税までもが税金から捻出されているのです。

ここまでくると、ほとんど病気ですね。
こういう人たちの意識のなかで、国家の重みはどう認識されているのでしょうか?
まさに「軽い国家の重い病」とは言えないでしょうか?

「われわれはいま、体制・反体制というようなあやしげな言葉の魔術にまどうことなく、もう一度国家というものを考えなおし、この文明の段階にもっとも適合した国家というものをわれわれの手ですこしずつ作りなおしにとりかかってみる必要があるのではないか。そういう覚悟をもたない政治家は容赦会釈なしにひきおろしてしまう必要があるのではないか」
この声は政治家の耳に届いているのでしょうか?
posted by SNR at 20:15| Comment(4) | TrackBack(5) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月07日

「くにのかたち」を論ずること

「小泉総理が皇室典範改正を急いでいる」
「自民党内に党議拘束をかけてでも、通常国会での成立を目指している」
「場合によってはポスト小泉の政局に影響をしてくる」
連日、こういう報道がテレビから流れてきますが、違和感を覚える人は少なくないのではないでしょうか?
南北朝時代に逆戻りとまでは言いませんが、天皇制の正統性をめぐる政局争いなど誰が望んでいるでしょうか?

こんなことを考えていたら、秋篠宮妃紀子さまのご懐妊報道が飛び込んできましたね。
これはものすごいタイミングですよ。
「神風」でも吹いたかと思いたくなるくらいですね。
などという冗談はさておき、僕自身は現在問題となっている「女系天皇」に賛成ですが、性急な皇室典範改正には反対です。

理由はきわめて簡単です。
@通常国会で議論しなければならない問題は、もっとほかにたくさんある。
A一部の有識者会議による議論を圧倒的多数の与党の下で有効な議論もしないまま決めてしまうべきではない。


「もっとほかにも議論すべきことがある」というのは、これまで何回も述べていることです。
「人口減少時代」「格差社会」「財政再建」「安全神話の崩壊」など、早急に取り組むべき問題に事欠かないことは、みなさんもよくご存知のことと思います。

しかし、それ以上に大事なことは、日本が民主主義国家であるということではないでしょうか?
日本国憲法の第1条を思い出してみてください。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
日本の象徴天皇制を支えているのは、我々国民の総意なのです。

現在問題になっているのは、「女系天皇」を認めるかどうかということです。
愛子さまが天皇になること、つまり「女性天皇」についてはこれまでも先例があり、多くの国民も賛成しています。
「女系天皇」とは父方の家系が天皇家につながっていないことを意味するもので、具体的には愛子さまの子どもが天皇に即位できるかどうかという形で表れます。
いま皇室典範の改正に慎重な人たちは、これまで守ってきた「男系天皇」の伝統を壊すことに異を唱えているわけです。

日本国憲法が男女同権を規定している以上、僕自身は女系天皇になっても構わないと考えています。
ちなみに、最近行われたJNNの世論調査では、女系天皇を認めるという人が65%(男系天皇に限るという人は24%)と多数を占めました。
しかし、「男系」「女系」の議論について国民の議論がどこまで進んでいるかといえば、まだまだ十分に浸透していないというのが現実ではないでしょうか。
国民が十分に議論しないまま決めてしまうほうが、よっぽど天皇制の正統性に傷をつけることになるのではないかと心配してしまいます。

天皇制について考えることは「くにのかたち」を論ずることと同義だと思います。
だからこそ日本国憲法で定められているわけです。
そして、日本国憲法のもっとも大事な精神のひとつが「民主主義」なのです。
「くにのかたち」をじっくり議論する機会を国民に与えること、このことこそが民主主義国家日本のもっとも重要な「くにのかたち」なのではないでしょうか?
生まれくるお子さまが男の子でも女の子でも、国民みんなで祝福したいですね。
posted by SNR at 22:45| Comment(5) | TrackBack(28) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月03日

国会議員はやっぱり拝金主義なのか?

BLTをめぐり国会で激しい論争が続いているのかと思いきや、
攻めるはずの民主党から傷害容疑で書類送検される議員が出てきてしまいました。
一方で、皇室典範改正をめぐり政局をにおわすような発言も見られるようです。
それにしても、なぜ皇室典範改正をそう急がないといけないのか、僕にはよく理解ができないのですが…。

そんなどたばた劇に目を奪われているうちに、驚くべき悪法が成立してしまいました。
名ばかりの「議員年金廃止法案」です。
法案の内容を簡単に要約すると、以下のようになります。

@OBは4〜10%削減して給付継続
A在職10年以上の現職議員は、「現行の85%で年金支給」か「納付金総額の80%を返還」を選択
B在職10年未満の現職議員は、納付金総額の80%を返還


これで「議員年金廃止」とは聞いて呆れますね。
OB議員には支給を続けるだけでなく、Aの在職10年以上の議員は間違いなく「現行の85%で年金支給」を選ぶに決まっているじゃないですか!
この先、何十年も国民の税金を垂れ流し続けるというムダ遣いを決めたのに等しいわけですが、問題はそれだけではありません。
在職10年未満の議員たちにも、「退職金制度」の創設が検討されているのです!
こうなってくると、怒りを通り越して笑うしかないですね。
国会議員の数ですら多すぎると多くの人が思っているなかで、
半永久的に税金を垂れ流し続ける仕組みをつくってしまったのですから。

もともと、「政治家はおカネに汚い」というイメージは多くの人が持っていました。
汚職事件まがいのものはしょっちゅうですし、政治資金の流れにはまだまだ不透明な部分がたくさんあるようです。
しかし、ここまで平然とやられると唖然としてしまいます。

ホリエモン逮捕以降、「おカネで何でも買える」というような風潮を省みようという空気が生まれてきています。
自民党の古くからおられる議員にも、公然とそういう風潮を批判するコメントを出している人たちがいました。
表向きホリエモン批判をしている人たちが、国民の目が届かないところで「議員拝金法案」とでも呼ぶべきものをつくっていたのです。

ホリエモンと違い、国会という神聖な場で合法的に行ったことなのだから良い。
そんなふうに彼らは考えているのでしょうか?
この国は本当にどうなってしまうのか、みなさんは不安に思いませんか?
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2006年01月24日

大荒れ通常国会は国民を幸せにするのか?

ライブドア堀江社長の逮捕が衝撃を与えているなかで、第164通常国会が開幕しました。
小泉チルドレンにばかり注目が集まった秋の特別国会に比べれば、本格的な論戦が期待できそうな気もします。

民主党は巨大与党に支えられた小泉政権に対して、ライブドアマンション米国産牛肉の3点セットで攻めると意気込んでいるようです。
衆議院の3分の2を与党が占めるという異常事態のなかで、野党第一党が元気なのは決して悪いことではないと思います。
ただ、与野党が激しく論戦をしても、必ずしも国民が幸せになるとは限らないところが、なかなか難しいところです。

確かに、ライブドアマンション米国産牛肉は、現在もっとも国民の関心を集めている問題でしょう。
しかし、これらを国会で議論するのが国民にとって本当に良いことであるのかどうかについて、我々は慎重に判断をしなければならないでしょう。
うっかりすると、与野党のパフォーマンス合戦に神経が注がれて、本当に国民にとって大事な法案が素通りしてしまう危険性があるからです。

特に危険なのがライブドア問題です。
この問題は見かけが派手ですし、野党は国民にアピールする機会到来とばかりに、ホリエモンが自民党による事実上の刺客として選挙に出たことについて、小泉・武部・竹中ラインの責任問題を追及してくるでしょう。
しかし、この論争は国民にとって何の益もないものになりかねない危険性があると思います。
大敗を喫した民主党から見れば、選挙の問題は遺恨試合なのかもしれません。
しかし、そこでホリエモンを応援したことを責めても、いたずらに政局が混乱するだけで、本当に国民の方を見た議論だと言えるでしょうか?
現に多くの人たちが、規制や古い勢力に打ち向かっていくというホリエモンの姿勢については、今でも名残惜しく思っているわけです。
自民党の古い体質の人たちやマスコミが勢いづいているからといって、それが国民の望むところでないことに、野党の人たちも気がつくべきなのだと思います。

今回の国会は「行革国会」となると言われていましたが、民主党は「安全国会」にすると宣言しています。
これは国会の場では対立軸になるのかもしれませんが、国民の目から見れば「改革」と「安全」は両立してもらわなければ困る問題なのです。
耐震偽装と米国産牛肉の議論は、再発防止という観点からしっかりと議論してもらわなければ困ります。
しかし、「構造改革が虚業では困ります!」という記事にも書きましたが、あるべき改革の姿は「自由で公正な市場競争」を追求することであるはずです。
そして「自由で公正な市場競争」は、不正やそれに伴う安全の崩壊を、きちんと監視して正していける仕組みを必要としているのです。
このような「改革」と「安全」の両立こそが、真に国民が政治に対して求めているものなのではないでしょうか?

勢力が弱体化した民主党は、なかなか政策のポジションを定めるのが難しいと思います。
特に昨年の選挙で「パフォーマンス」に負けたことを考えれば、「与党追及パフォーマンス」に走りたくなる気持ちの焦りもあるでしょう。
しかし昨年の選挙で、そもそもの失敗の始まりは、郵政民営化法案に大手を振るって反対したことだったわけです。
そのときのことを思い出して、しっかりと何が国民のためになるのかを考えて臨んでもらいたいものです。
そして我々国民の側も、しっかり正しい判断ができる目を養いたいものですね。
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2006年01月22日

構造改革が虚業では困ります!

大きなニュースが相次いでマスコミを賑わせているなか、いよいよ通常国会が始まりました。
小泉総理らは「改革の総仕上げ」を合言葉にしているようですが、通常国会で本当に問われるべきは何なのでしょうか?

一方で、いまの日本は「信用崩壊」の危機に瀕していると思います。
昨年の暮れに『SNRが斬る今年の重大ニュース!相次ぐ詐欺被害:「信」無くして立てるのか?』という記事を書きました。
社会を支えるもっとも大事なものは「信用」であること、そして「信用」がベースになければ経済も成り立ち得ないことを述べました。
記事で扱った詐欺事件ばかりでなく、耐震偽装問題、ライブドアショック、そして米国産牛肉の問題まで、年が明けても「信用」が問われるニュースが続いています。

「構造改革なくして景気回復なし」と、小泉総理が一時期ヒステリックに叫んでいましたが、「景気回復に貢献するような構造改革を行なうべし」というのが本来あるべき政策の姿でした。
すなわち「健全な市場競争を妨げている仕組みを改革しましょう」というのが、本来の精神であったわけです。
確かに「構造改革」という言葉が次第にひとり歩きを始めて、何でも民間に任せたり規制を緩和したりすれば良いのではないかという風潮が出てきたことは否めません。
そして耐震偽装マンションやライブドアのような問題が出てくると、今度は「構造改革」路線そのものが間違っていたかのような印象が広まりつつあります。
しかし、ものごとはそう単純なものではありません。
詐欺的な行為を許してしまった制度やルールの不備と、「改革」の方向性そのものが間違っていることは別問題なのです。

では、いま起こっていることは改革の過渡期に見られる現象だから放っておいて構わないのでしょうか?
もちろん、そんなことはありません。
なぜなら、そこには冒頭で述べた「信用」という問題が横たわっているからです。

いくら改革を進めたとしても、制度やルールに対する「信用」がなければ、誰もその市場には積極的に参加しません。
誰しも自分が被害者にはなりたくないですし、それを避けようと思えば自らコストを払って調査をしなければならないのですから、当然のように市場取引は停滞します。
信用のない市場からは、ヒトもカネも容易に逃げていってしまいます。
こうした本末転倒な事態に至らぬよう、「健全な市場競争」という原点に立ち返ってみることが必要となるでしょう。
「健全な市場競争」とは、「自由で公正な市場競争」と読み替えることができます。
いままさに問われているのは、「信用」を担保する「公正な市場」の形成なのです。

小泉総理とホリエモンを並べて論じるのは失礼かもしれませんが、両者は似ている部分がかなりあると思います。
マスコミを最大限利用していることや、インパクトのあるワンフレーズで社会に大きな影響を与えていることだけではありません。
ホリエモンにとって株式時価総額の上昇が生命線であったように、小泉総理の命綱は高い内閣支持率にあります。
常に「改革」に対する期待感を膨らませることによって、高い支持率を維持してきたと言っても良いでしょう。
しかし、かんじんの「改革」の中身が虚像に過ぎなければ、本業の中身が伴っていなかったホリエモンと本質的に何も変わらないことになってしまいます。

小泉総理は新たな「改革」のアドバルーンを揚げるだけでなく、もう一度「公正な市場」とは何かという観点から総点検をしてもらいたいものです。
自由ばかりでなく公正さが正しく追求されてこそ、信用を備えた活気のある市場となるわけです。
回復し始めた景気を失速させないためにも、通常国会では与野党を超えて真剣にこの問題に取り組んでもらいたいと思います。
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2006年01月12日

大人は数字が好きで困ります!

ついこの間、省庁の看板をかけかえたと思ったら、
もう、永田町では省庁再々編が噂されているようです。
前回、1府22省庁を1府11省庁に半減したわけですが…。

半減というと、どこかで似たようなフレーズを聞いたことがありますね。
現在31ある特別会計を、半分または3分の1程度に削減という話です。
政府系金融機関についても、民営化や地方移管によってひとつにするとかしないとか…。
一見すると悪くない話のように聞こえますが、問題は数の削減ではないわけですよね。

大人は数字が好きだ。
新しくできた友人のことを話すとき、大人はほんとに大事なことは訊かない。
「どんな声の人?」「一番好きな遊びは何?」「蝶のコレクションをする人」などとは絶対に訊かない。
「その人はいくつ?」「兄弟は何人?」「体重は?」「お父さんの収入は?」などと訊く。
それでどんな人かわかったつもりになる。


再びサン=テグジュペリの『星の王子さま』からです。
本当に大事なことが、行政や予算の効率化であることは言うまでもありません。
しかし政治家の口から出てくるのは、数合わせの話ばかりのような気がします。

最近の選挙ではマニフェストが定着してきたと言われています。
そして、マニフェストは具体的な数値目標や年限を示して提示すべきだとも言われます。
確かに分かりやすさだけでなく、後々、マニフェストの内容が達成されたかどうか検証するためにも、これらの数字は大切なのでしょう。
でも、その数字の奥にあるものをちゃんと見ないと、有権者がきちんと選択したということにはならないのではないでしょうか?

省庁再々編が囁かれる背景には、昨年から世間を騒がせている「通信と放送の融合」があるそうです。
新しい時代に対応するためには、「情報通信省」といった新しい省庁をつくらなければならないと言われています。
確かにそうなのかもしれません。
しかし、何かと縄張り争いの多い霞ヶ関で、どうしたら効率的に行政が機能する体制をつくれるか。
しっかりと問われなければなりません。
特別会計についても、わかりにくい仕組みはすべてやめて、歳入の一元化してムダをなくしてほしいと思っているわけです。

昨日は「大人になるとは」というような話をしましたが、
大人になって失ってはいけないことも、たくさんあるわけです。
数字だけに目を曇らされないように、しっかりと政治を見極める目を持ち続けたいですね。
posted by SNR at 19:24| Comment(23) | TrackBack(7) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

すべてが後の祭り…

自民党の総裁選挙は9月の予定ですが、
山崎拓前副総裁まで総裁選出馬に意欲を見せているらしく、
年明け早々から騒々しくなってきました。

そこにもってきて、小泉総理が武部幹事長に対して、
「一般国民も損族したと実感できる仕組み」を総裁選に取り入れるよう要請したとか。
とすると、
「また、劇場型なのか…」

こういう感想を持つ人は多いでしょうね。
もちろん、まだどんな形式の選挙になるのかはわかりません。
ただ、年始早々から「麻垣康三」と騒いでいるマスコミを見ると、いかがなものかなと思ってしまいます。
昨年の選挙の例を見てもわかるように、小泉劇場の最大の立役者はテレビを中心としたマスコミです。
これから6月あたりまで通常国会が開かれますが、総裁候補者の血統証明書(例のお父さんは誰々という話です)、私情や怨念の類、そしてパフォーマンス合戦が、次々と報造られて国会の中身が軽ん造られるかと思うとうんざりしてしまいます。

改革路線対米重視外交の継承がポスト小泉の条件なのではないかと言われています。
改革を行う必要があるのは当たり前です。
アメリカを軽視していこうという人は、まずいないと言って良いでしょう。
でも、この議論ではかんじんなことが何も語られていないわけですよ。
「何のための改革なのか」何のための対米重視なのか」が!
前の記事の繰り返しになりますが、ポスト小泉報道でもまさに「議論の本位を定る事」が決定的に欠けているわけです。

政治のことを「まつりごと」と言いますが、それは神を祀ることが大事な政治活・のひとつであった祭政一致時代の頃の名残と言えるでしょう。
祭りとは厳しい日常のなかで生まれたストレスを発散できる非日常の宴ですが、政治問題の多くは我々の日常生活と密接に関連しているわけです。
現代の政治が「劇場型お祭り政治」では困ってしまいますよ。

日常生活に問題が潜んでいることすら忘れさせてしまうことが、もっとも巧妙な政治権力の行使であると言われています。
みなさん、いつまでもお祭りにうかれて本当の政治を忘れてしまって良いのでしょうか?
劇場に足を賊び観客となって、ただ拍手喝采を送るだけで良いのでしょうか?
2006年を振り返ってみて、すべてが後の祭りとならないようにしたいものですね。
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2005年12月21日

小泉総理、予算教書演説をしてみてはいかがですか?

来年度予算の財務省原案が閣議に提出されました。
就任時の公約である国債30兆円以下を初めて実現したことが一番の目玉のようですが、
なんかすっきりしないのは僕だけでしょうか?

いろいろと理由はあります。

まず、先の与党税制改革大綱もそうでしたが、
「○○費がいくらアップで××費がいくらダウン」とか書かれても、
一般の人には何が何だかわからないというのが現状ですよね。
よく年収700万円で夫はサラリーマン、妻は専業主婦、子どもは2人のモデルケースというような例が新聞やテレビで出てきますが、あれに当てはまって納得する人はいったい何人いるのでしょうか?
以前「注文の多い料理店では困るのです!」という記事にも書きましたが、
予算や税制の背後にあるビジョンのようなものがまったく見えないのでは、国民を説得するつもりがほとんどないと言われても仕方がないでしょう。

しかも一般会計に加えて特別会計や財政投融資計画もあり、おそろしく複雑にできているのが日本の予算です。
誰も全体図を簡単に描けないようなこの複雑な構造を変えずして、本当に政府が歳出削減に取り組んでいると言えるでしょうか?
あちらこちらにポケットや財布、そしてへそくりが散乱している状態を続けていては、いつどこで無駄遣いが行われるかわかったものじゃないではないですか!

同じように制度改革が必要な点がもうひとつあります。
それは予算の単年度主義と予算を使い切ることが美徳とされる官僚の体質です。
みなさんの一般家庭で、こんなことが通りますか?
「手元にあるお金はとりあえず全部使っちゃえ、来年は来年の風が吹く」で暮らしが成り立っていきますか?

プライマリーバランスの回復を目指すのは結構です。
景気回復で税収がアップしているのも喜ばしいことです。
一般会計の歳出を前年度比3%減らしたのは確かに前進と呼べるでしょう。
でもまだ、国債の返済や償還が18.7兆円に対して、30兆円弱も新規国債を発行しているわけですから、借金の返済以上に借金を繰り返している構造は、まだまだ直っていないんですよ!

小泉総理は自分のことを、昭和恐慌時の総理「浜口雄幸」になぞらえているわけです。
浜口雄幸は第1次大戦後の不況を引きずる日本経済を立て直すために、不採算の企業を市場から一掃して、超緊縮財政を押し進めた人です。
文字通り「痛みを伴う改革」を断行したと言っても良いでしょう。
小泉総理も浜口雄幸にならって「男子の本懐」と胸を張りたいのならば、日本の予算制度そのものを変えるぐらいのことをやらなくてどうするんですか!

というわけで、小泉総理には是非「予算教書演説」とでも題して、しっかりと国民に理念を示してもらいたいと思うわけです。
もちろん、来年になれば通常国会が開かれて予算の審議が行われます。
でもその前に、しっかりと国民のビジョンを示す必要があるのではないでしょうか?
そうでなければ、マスコミが強制捜査の報道にかまけている間にドサクサ紛れでごまかしたと言われても仕方がないのではないですか?
そもそも、国債発行額をもっとも膨らましたのは小泉総理自身なのですから。
posted by SNR at 22:22| Comment(0) | TrackBack(6) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月16日

注文の多い料理店では困るのです!

先日、「SNRが斬る今年の重大ニュース!総選挙:どっちの『改革』ショーは自民党の圧倒的勝利に」という記事のなかで、僕は総選挙を「どっちの料理ショー」にたとえてみました。
そして、選挙後の自民党がどんな料理をどんな料理店で出してくれるのかに注目したいと述べました。
世間の関心が耐震設計偽装問題に向いている間に、店の奥にある厨房で何が行われているかをちゃんと見ましょうと…。

早速、出てきましたね。
政府与党が来年度の税制改革大綱を決定しました。
日本がこれだけの借金を抱えているわけですから、ある程度の増税は致し方ないとは思っていますよ。
でも、それはあくまでも歳出削減や国民への説明があっての話ではないですか!

それにしても、日本の税制にはどんな思想とか哲学のようなものがあるのでしょう?
第3のビールやたばこへの増税、あるいは定率減税の廃止が問題になっていますが、
多くの国民に納得してもらうためには、やっぱり筋の通った考え方が必要じゃないですか。
唯一ある思想といえば、「とりやすいところからとること」
これだけしかないような気がしてならないのです。

そもそも嗜好品のなかでも、酒とたばこだけになぜ税金がかかるのか?
子育て支援への出費と言うならば、誰のどのような給付と負担のバランスで運営しようとしているのか?
将来の消費税アップでも、道路特定財源の一般財源化でも良いですよ。
どういう社会像と、どういう思想をもって、国の歳出と国民の負担を考えているのか、まったく見えてこないと思うのは僕だけでしょうか?

税金の問題だけではありません。
米国産牛肉の輸入解禁、自衛隊イラク派遣の延長、そして自民党憲法草案の「国を愛する義務」等々…。
選挙で大勝した自民党が厨房の奥でやっていることはどうでしょう?

確かに国民は総選挙で自民党料理店に注文をしましたよ。
でも、これでは注文を出しているのは自民党の方じゃないですか!
今回の増税も、まずは高い料金を前払いでもさせようという算段なのでしょうか?
最後は我々が食べられてしまうなんてことにはならないのでしょうか?

「国民からの注文の多い料理店」なら結構です。
でも、不況という山の中をさまよい歩いた末に飛び込んだレストランが、
「国民への注文の多い料理店」では困るのです!

自民党が「山猫軒」にならないように監視すること、
そして、逆に自民党に次々と注文をぶつけること。
我々はこのことを忘れてはならないのではないでしょうか?
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2005年12月14日

SNRが斬る今年の重大ニュース! 総選挙:どっちの「改革」ショーは自民党の圧倒的勝利に

「小泉総理の言語能力は犬猫なみ」
総理お得意のワンフレーズ・ポリティクスを、井上ひさしさんと丸谷才一さんの対談では、こう評価していました。
総理のコミュニケーションがいかに映像を伴ってこそ意味があるかということが、
国会の党首討論をラジオで聴くと、よくわかるのだそうです。
そんなものかな…。

と思っていた、あの運命の8月8日。
僕はたまたま乗ったタクシーのなかで、あの小泉総理の「ガリレオ演説」のラジオ放送で耳にすることになりました。
ここから、あの長い選挙戦がスタートすることになったわけです。

今回の選挙は一言で言えば、「テレビ選挙」だったと思います。
確かに以前から、政治は「テレビ時代に入った」と言われてきました。
小泉総理はテレビの使い方が上手だとも言われてきました。
それでも、テレビがここまでのインパクトを持ったのは初めてでしょう。
そういう意味で「テレビ選挙」、しかも「ワイドショー選挙」だったことは間違いないでしょう。
「犬猫なみの言語能力」かどうかは分かりませんが、とにかくパフォーマンス力がものを言う選挙だったのではないでしょうか?

さて、問題は一口に「テレビ選挙」と言っても、
その実態や本質は何だったのかというのが、今回のテーマですね。

今回の選挙は「どっちの『改革』ショー」だった!

巷ではいろいろな分析が行われていますが、僕がこの選挙を一言で言い表すとするならば、これに尽きるのです。

日本テレビ系列で放送されている「どっちの料理ショー」という番組があるのは、みなさんご存知でしょう。
関口さんと三宅さんが、二手に分かれて料理のプレゼンテーションをして、
最後にゲストのタレントたちが、どっちの料理を食べたいか札をあげて決めるというものです。

「刺客騒動」などとメディアでは言われてきました。
確かに小泉自民党と郵政反対派議員の間の「斬った張った」は、さまざまなドラマを生みエキサイティングであったことは間違いありません。
でも、その刺激だけで有権者が投票したと考えるのはいかがなものかと思います。
有権者だってK1やプライドを(あるいは、ハッスル?)を見ているわけではないのですから、いわゆる「刺客騒動」が何を意味しているのかを考えて投票すると思いませんか?

このように考えてみると、一応今回の選挙はまがりなりにも自民党と民主党の間の「改革競争」だったわけです。
僕が言っている改革というのは、郵政民営化のことではありませんよ。
あくまでも、有権者の目に当時何が見えていたのかという視点からお話をしているのです。
つまり、あの「刺客騒動」も党内の抵抗勢力を一掃するという意味では、「自民党内改革」だったと思うのです。

一方で、民主党はというと…。
みなさんもご存知のとおり、マニフェストを中心に年金問題や子育てなどの改革案を、
気の毒になるくらい一生懸命アピールをしていました。

さて、実際に札をあげる役の有権者はどっちに軍配を上げたのでしょうか?
もちろん、自民党でしたが、理由は簡単です。
自民党チームが屋台の焼きソバをじゃんじゃん焼いたのに対して、民主党チームは高級懐石料理のお品書きを有権者に見せるだけにとどまってしまったのではないでしょうか?

つまり、自民党内の改革は民主党が批判したとおり、決して改革の本丸などと呼べるものではありませんでした。
言うなれば、屋台の焼きソバのようなものだったのです!!!
これに対して、民主党は有権者にとって大事な問題で改革案を訴えていました。
これはもしかしたら、高級懐石料理だったのかもしれません!!!
でも、残念ながらお品書きを見せるだけで、実際に目の前で調理することがまったくできなかったのです…。

僕は別に自民党が悪かったと言っているわけではないんです。
誰だってちゃんと料理が出てくるかわからないお品書きを見せられるよりは、とりあえずでも目の前の鉄板でソースの焦げる香ばしいニオイや熱々の湯気をたてられた方が食欲はそそります。
でも、これでひとつ分かったことがあるような気がしませんか?
それは、有権者がいかに「改革に飢えているか」ということです。
この飢餓感が投票率のアップにつながり、自民党への得票へと結びついたのではないでしょうか?

となると、当然ながら選挙後の自民党が問題となってくるのです。
有権者の多くはとりあえずの焼きソバで、小腹を満たしたにすぎないわけです。
歳出削減に医療制度改革、三位一体の改革に少子化対策…
みなさんもご存知のように、改革の本丸は「目に見える」抵抗勢力ではなく、「目に見えない」官僚のところにあるわけですから。
次の現場は屋台ではなく、お店の奥にある厨房なのです。

こうしている間にも、来年度の予算が組まれていっています。
つまり、厨房では何がしかの料理が行われているわけです。
今度はたこ焼きやお好み焼きのようなものでは許されません。
果たして出てくる料理が、有権者の注文どおりのものなのかどうか、みんなで見守ろうではありませんか。

僕は今回の選挙をこんなふうに捉えていますが、みなさんはいかがですか?
posted by SNR at 22:24| Comment(9) | TrackBack(5) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月05日

ネット選挙について少々:政治の中身はますます軽くなるのか?

自民党がいよいよネット選挙解禁に動き出すというニュースが流れています。
解禁を07年の参議院選挙からとしたところは自民党らしい気もしますね。
ここで多少負けても政権交代に直接はつながらないということなのでしょうか?

ただ、時代にマッチした法改正にはもちろん賛成です。
そもそも実態面でも理念の面でも、公職選挙法は時代の流れにまったく即していなかったわけですからね。
HPやメルマガ、ブログなどをはがきやビラと同じレベルの「文書図画」と規定していることだけでなく、お金持ちが資金力にモノを言わせことを防ぐという発想も古いですよね。
総務省の調べによれば、インターネット人口普及率は2004年に6割を超えているわけです。
有権者から見れば、情報へのアクセスがしやすくなることは良いことと言えるでしょう。

ネットと選挙について考えたとき大きなポイントは、以下の点にあると言えるでしょう。
@有権者と候補者の間の双方向的なコミュニケーション
A有権者どうしのコミュニケーションによるコミュニティ形成

前回の選挙でも「政治家のブログ発信」や「YES!PROJECT」などの動きはありましたが、
解禁によって具体的にどんな影響があるのかは、実際に選挙をやってみないとわからないことも多いのが実情ではないでしょうか?

おそらくネット選挙には良い面も悪い面もあるのでしょう。
政治家の側は自分に有利な形での世論形成に必死になるでしょう。
有権者の側は責任ある情報受信や発信を必要とされるようになるでしょう。
当然、「匿名性を利用したやらせによる世論形成」や「誹謗中傷合戦」、果ては「選挙関連を装った詐欺」まで出てくるかもしれません。
しっかりとした制度設計をするのは、なかなか難しそうです。

いろいろと議論が必要であることは間違いないでしょうが、本当に問われていることは政治の中身そのものなのではないでしょうか?
ネットはあくまでも手段に過ぎないわけです。
もっとも大事な政治の質を劣化させて、衣だけ膨らませるようなことがあってはなりません。
偽装が問題なのはマンションやホテルの耐震設計だけではないのです!
「改革」の偽装が大問題であることは、昨年の年金改革で明らかになったではありませんか?


具体的な法改正の議論は、来年の通常国会に向けて深まっていくでしょう。
その前にもう一度、ここ数年の「劇場型政治」で何が失われ、何が誤魔化されてきたのか。
既存メディアを含めて問い直すことが必要とされているのではないでしょうか?
posted by SNR at 22:20| Comment(2) | TrackBack(1) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月30日

「見ざる、言わざる、聞かざる」 西村発言が残した課題

民主党の西村真悟衆議院議員が逮捕されました。
弁護士名義貸しの容疑です。
もちろん、あってはならないことです。
法務に携わる弁護士として、法律をつくる立法府の国会議員として、
断じて許されるべき問題ではありません。

それはそれとして、今回はちょっと視点が違います。
西村議員と言えば、防衛政務次官時代に核武装発言で物議を醸した人です。
今回の報道でも各メディアが「タカ派で、問題発言を繰り返していた議員」という形で取り上げています。

でも、それってちょっとどうかなと思ってしまうのです。
確かに西村議員の発言には眉をひそめるような内容が少なくありませんでした。
彼の発言には賛成できないものが多かったのも事実です。

でも、何もかも十把ひとからげにしてしまっていいのでしょうか?
「日本も核武装した方がいいかも」という発言はひとつの典型例です。
ちなみに個人的には日本の核武装に賛成できません。
その政治的信条の是非はともかく、タブーにチャレンジした姿勢は評価されてもいいのではないかと思うのです。

僕自身は核武装しないで済むのであれば、それにこしたことはないと思っています。
しかし、日本がアメリカの核の傘の下にいるのは事実なのです。
そして、「お互いに核武装すれば抑止力が働く」という議論が、世界ではまだまだ通用するものであるのもまた事実なのです。
少なくとも「自衛隊の活動する地域は非戦闘地域」なんていう発言に比べれば、論理的な筋は通ってますよ。

「見ざる、言わざる、聞かざる」
ひとりの政治家の発言よりも、こちらの方が問題にされるべきだと思うのです。

西村発言から6年。
日本の中にあるタブーはどれだけ解消されたのでしょうか?
いやいや、むしろタブーは増えていってしまっているのでしょうか?

タブーとして問題を押し込めてしまっても問題がなくなるわけではありません。
むしろ不健全な空気が高まってしまうことすらあります。
昨日、今日と国会ではマンション問題での参考人質疑が行われています。
まだまだ真相は闇の中ですが、
建設業界内の触れてはならないタブーが出てきそうな予感がぷんぷんしますね。
被害に合われた方々には申し訳ないけど、
今回のことを機会にタブーを取り払って、しっかり膿を出してもらいたいものです。
posted by SNR at 21:06| Comment(0) | TrackBack(2) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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