2006年06月21日

考えられないことを考えること

イラクに駐留する陸上自衛隊の来月中の撤退が決まりました。
国民的なコンセンサスがあるのかないのか分からないまま、「非戦闘地域」というこじつけに等しい理屈で派遣を続けた陸上自衛隊ですが、約2年半に及ぶ活動を一人の犠牲者も出さずにここまで来られたことは喜ぶべきことでしょう。
国際貢献が日本の外交政策にとって大きな意味を持つのは当然ですが、今回の派遣が小泉総理の武勇伝で終わってしまう話ではありません。
かつて日露戦争における薄氷を踏むような勝利が美化されてしまったように、何の検証もないまま成功体験とされてしまっては困るのです。

自衛隊員に対して具体的にどのような危険が及ぶことを、どこまで本気で想定していたのか?
もし武力攻撃などが起こった場合に、どこまで綿密な対応や出口戦略を立てていたのか?

小泉総理に聞いてみなければ分からないことだらけですが、日本に限らず民主主義国にとって海外派兵というのは大きな決断なのですから、それこそ「考えられないことまで考える」くらいの準備をしていたのかどうか気になるところです。

イランの核開発問題や北朝鮮のミサイル実験準備の可能性などが報じられているように、大量破壊兵器の拡散は今なお国際社会の大きな関心事のひとつです。
米ソ冷戦下におけるアメリカの核抑止戦略の根底には、ハーマン・カーンが唱えた「考えられないことを考える」(Thinking about Unthinkable)という考え方がありました。
つまり、核兵器を使うことができる現実的可能性は極めて低く、普通に考えれば、これは事実上「考えられない」兵器となるわけです。
しかし、核抑止論というものが成り立つためには、核兵器が最初から使用を「考えられない」兵器であったのでは相手に対する脅しになりません。
つまり、最初から「いざとなったら報復として使用できる兵器」であると考えなければ、抑止力として機能しないので、敢えて「考えられないことを考えなければならない」というわけです。

ちょっと複雑な議論に聞こえたかもしれませんが、これがまさに一触即発の心理戦が抱える本質であり、そこから「相手を本気で思いとどまらせるには、こちらも本気で使用可能性の低い兵器の使用について考えなくてはならない」という結論が導き出されるのです。
もちろん、この結果として後世から見れば滑稽に映るほど大量の核兵器が生産されて、新たな核拡散と流出の危険を招く源となっているわけです。
しかし、だからといって「考えること」さえしなければ、危険な事態が生じることもないだろうというのは安直な発想ではないでしょうか?

そもそもイラクに自衛隊を派遣したことの是非については、いろいろな議論があるでしょう。
アメリカの戦略にどこまで協力するのか、これまた議論の分かれるところでしょう。
しかし、それ以前の問題として、危険な地域へと派遣するのであれば、「考えられないことまで考える」姿勢が必要であることを、しっかりと自覚して準備をしていたのでしょうか?今後の国際貢献や安全保障のあり方を考える上でも、ただ陸上自衛隊の帰国を歓迎するのではなく、しっかりと検証してほしいものです。
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2006年05月05日

「2+2=3」の謎

「2+2=4」なのに、なんで「2+2=3」なんだ!?
このように思う人もいると思いますが、それについては後半でお話しすることにしましょう。

話は変わりますが、数学が解決しなければならない大きな問題のひとつに、「ポアンカレ予想」というものがあるそうです。
「3次元の閉じた多様体で『基本群が自明』なものは、3次元球面しかない」というのが、どうやらその中身のようですが、もちろん難しい数学について僕はよくわかりません(わかる方がいたら、是非わかりやすく教えてください)。
この「ポアンカレ予想」を証明することで、いったいどれほどメリットがあるのかも、いまひとつ認識できないのですが、ロシアの数学者であるグレゴリー・ペレルマン氏が、どうやら証明に成功したのではないかというニュースが大きな話題になっているそうです。

もっとも彼が本当に証明に成功したのかどうかは、かなり慎重な検証をしてみないと明らかにはなりません。
なぜなら数学における証明とは、ひとつの例外もなく当てはまる、つまり普遍的に正しいことが立証されなければならないからです。
たとえば、誰もが習ったことのある「ピタゴラスの定理(三平方の定理)」でも、定理に当てはまる大きさの直角三角形をいくつ例証してもだめで、あらゆる条件の直角三角形にこの定理が当てはまることを言わなければ証明したことにならないということですね。

こういう数学の世界に比べて、我々が住む世界に関する法則はもっと緩やかに出来上がっています。
自然科学の法則にしても、社会科学の議論にしても、現実の世界ではさまざまな要素が複雑に絡み合ってくるので、数学のように普遍的に正しいと証明することはなかなか難しく、仮説検定というレベルでものを考えているのです。
どうやら仮説の内容は確からしいというところで満足するしかなく、少し時代が経てば、また別の仮説に取って代わられるということも、しばしば起こるわけですね。

さて、掲題の「2+2=3」についてです。
これはもちろん、いわゆる数式ではありません。
通称「2+2」(ツー・プラス・ツー)と呼ばれる、日米の外交安全保障問題に関する首脳会議がワシントンで開かれました。
日本側からは外務大臣と防衛庁長官、米国側からは国務長官と国防長官が出席するため、このように呼ばれるわけです。
もうみなさんお分かりかとは思いますが、「3」という数字は米軍再編のための経費として、日本が3兆円の負担を求められているのではないかということです。

政府関係者ですら寝耳に水だと発言するような数字ですから、一般の国民にとってはもっと不可解で驚きの数字であるのは当然です。
ましてや財政再建のための大きな負担を背負うことになる国民から見れば、憤りすら感じるような莫大な金額です。
多くのメディアが論評しているように、なぜこのような負担が必要であるのか、政府はしっかりと説明責任を果たす必要があるでしょう。

これは数学のような証明が必要な問題ではありません。
科学の法則のように仮説検定を行なって確からしさを示すものでもありません。
国民が評価としているのは、正しさや確からしさではなく妥当性なのです。
全員が納得するような根拠を示せないにしても、それでも政府はしっかりと説明して説得を試みる義務があるのではないでしょうか?
「2+2=3」でなく「2+2=2.3」だというような意見も上がっているようですが、いずれにしてもうやむやにして誤魔化すようなことだけはしてほしくないものですね。
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2006年03月16日

納税者はオーナーではないのか?

少し時間が経ってしまいましたが、3月12日に、岩国基地への米空母艦載機部隊移転受け入れをめぐる住民投票が行われました。
住民投票は投票率58・68%で成立。開票結果は反対が投票者数の87・42%に上り、全有資格者数の過半数を超えたようです。

住民の意思は重く受け止められるべきだ。
強制力を伴わないものとはいえ、住民投票が直接民主主義のひとつの手段として認められつつあるなかでは、このような意見が出されるのは当然のことでしょう。

在日米軍基地をめぐる住民投票としては、1997年12月に名護市で行われた「普天間基地返還に伴う海上ヘリポート建設の是非」をめぐるものを思い浮かべる方も多いでしょう。
このときは「反対」が過半数を占めながらも、市長が辺野古沖へのヘリポート受け入れを決めてしまいました。
今回も国のレベルではすでに再編が決まっており、今さら地元のエゴを聞くわけにはいかないという声も上がり始めています。

そもそも安全保障政策とは、いったい何のためにあるのでしょうか?
もちろん、「国民の生命と財産を守るため」にあるわけです。
だからこそ、国民は税金を払い政府に安全を託しているわけです。
今の日本では国民の意識と安全保障政策が大きく乖離してしまってはいないでしょうか?

かつて、明治時代の日本では「国民が軍のオーナーであるという意識」が、もう少しはっきりしていたと、司馬遼太郎は「『旅順』から考える」のなかで述べています。
後に大本営発表を鵜呑みにせざるを得なくなるわけですが、この頃はまだ、納税者が武器を与えているのだから、軍人は義務を果たすべきだという考え方が強かったというのです。
もちろん、言論の自由などの民主主義の度合いで現在と比較するのは無理があるかもしれません。
しかし、現在の安全保障政策について、我々はどれだけこういうオーナー意識を持っているでしょうか?

もちろん、在日米軍基地となった場合には、いろいろと難しい問題が出てきてしまいます。
確かに空母の主任務が日本防衛でないにしても、東アジア地域やグローバルな視点で日本の安全を考えることも大切です。
有資格者の過半数が反対を表明したとはいっても、基地受け入れによるメリットを感じる人も少なからずいます。
基地をある地域から追い出しても、別の地域にたらい回しするだけでは、より良い解決策とはいえないでしょう。

そのほかにも難しい問題はたくさんありますが、それでも「安全保障政策のオーナーは国民である」ということを原点にしなくては、何も解決しないと思います。
そうでなければ、沖縄の海兵隊をグアムに移転する費用をなぜ負担しなければいけないのか、誰も納得することができないのではないでしょうか?
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2006年01月10日

三酔人経綸問答に学ぶべきではないか?

ちょっと古い話になりますが、小泉総理の年頭会見での発言、
「精神の自由、心の問題について、政治が関与することを嫌う言論人、知識人が批判することは理解できない。まして外国政府が介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない」というものと、
朝日新聞の社説「私たちこそ理解できぬ」が、ブログでもずいぶんと話題になったようです。

どちらかというと、朝日新聞に対する感情的な反発が多かったようですが、
僕はどちらの立場にも肩入れしてお話をするつもりはありません。
ただ、小泉総理の姿勢を批判したつもりの朝日新聞が、総理と同じように相手を「理解できぬ」と片付けてしまった点には深刻な問題が潜んでいると思います。

戦争の犠牲となって亡くなられた方の御霊に哀悼の誠を表すること。
これを否定する人はほとんどいないと言ってよいでしょう。
ここで、靖国参拝をめぐる議論の多くはA級戦犯合祀の問題や総理は公人か私人かという問題の迷路に迷い込んでしまいます。
確かにこれらの問題は靖国問題を解決する上では避けて通れない問題です。

しかし、日中・日韓両国ともに、ここまで問題を大きくしてしまった背景というものに、そろそろきっちりと目を向ける時期に来ているのではないでしょうか?
小泉総理はよく「心の問題」と言いますが、確かに同じように心理状態を表すものですが、はっきり言って「威信の問題」です。
この問題はよく重要な「外交問題」であるとも言われますが、その根っこは完全に「国内問題」にあるわけです。
つまり、「威信の問題」「国内問題」で中韓両国との外交関係が行き詰ってしまっているということになります。
こうした問題の本質を捉えないで、靖国問題をめぐる言動ばかりを追っていては日中・日韓関係全体を危うくする危険性があるのではないでしょうか?

さて、そこで中江兆民の『三酔人経綸問答』入りましょう。
これは酒好きの南海先生のもとへやってきた洋学紳士と豪傑の客が、大いに酒を飲みながら政治について論争をするという話です。
洋学紳士は民主主義の制度を重視して、外交は話し合いで解決していくべきであると説き、これに対して豪傑の客は、それは強国に都合の良い論理であり、弱小国はときに戦争に訴えてでも利益を掴みとっていかなければならないと主張します。
別に日中・日韓両国が戦争をしようとしているというわけではありませんが、お互いの主張を一方的に繰り返す現状は豪傑の客の立場に近いと言えるでしょう。
これに対して、話し合いで解決していこうという立場は洋学紳士の立場に近いでしょう。

ここでの最大のポイントは、どちらの立場がより正しいかということではありません。
まさに三酔人が大いに議論をしているように、ふたつの立場が冷静かつ論理的に議論をする必要があるということです。
日本国内で議論すらせずに、お互いに「理解できない」ばかりを繰り返してどうなるというのでしょうか?

もうひとつは、「威信の問題」や「国内問題」はできる限り外交上の大きな問題にしない方が良いということです。
「政府の威信をかけた問題は、お互いに妥協することは難しい」
「国内政治上の都合だけで外交政策を動かすのは危うい」
いずれも、これまで人類がいくつもの戦争を乗り越えて学んできたことです。

みなさんは、すいぶんと面白くない結論だと思いますか?
「平時閑話の題目に在りては、或は奇を闘はし、怪を競ふて、一時の笑柄と為すも固より妨無きも、邦家百年の大計を論ずるに至りては、豈専ら奇を標し新を掲げて、以て快を為すことを得んや」
これは南海先生の最後の言葉です。
つまり、国家百年の大計を論ずるようなときには、子どもでも考えつくような常識的で面白みのない考え方をしなくてはならないということです。
というのは、やや冗談が入っていますが、もう少し大局に立って議論を続けていただきたいものです。
以上、年頭会見についてちょっと気になったのですが、みなさんはどう思われますか?
posted by SNR at 22:02| Comment(3) | TrackBack(2) | 外交・国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

SNRが斬る今年の重大ニュース! イラク問題など:問われているのは日本の民主主義なのではないか?

今年も悲惨なテロが繰り返された1年でした。
ロンドンでの地下鉄同時爆破テロ、バリ島での爆破テロ事件…。
その一方で、イラクの現状については誰も気にとめなくなってしまったようにすら思える日々が続いています。

こうしたなかで、ブッシュ大統領がイラク戦争開戦のときの情報が誤りであったことを認めました。
「今さら何を言っているのか」という意見は当然あるでしょう。
しかし未だに黙して何も語らず、自衛隊派遣の延長を閣議決定してしまった小泉総理と比較する視点を忘れてはいけないのではないでしょうか?

もちろん日本が直接イラク戦争を始めたわけではありません。
自衛隊を派遣したのはあくまでも人道復興支援のためだと政府は言うでしょう。
イラクの治安状況が一向に好転しないことは、日本の責任ではないのかもしれません。
それでもやっぱり、日本はイラクの問題から目をそむけてはいけないと思うのです。

イラクに自衛隊を派遣しているからというからというのは主な理由ではありません。
また、テロとの戦いが人類共通の課題だからというわけでもありません。
イラク問題の背後には日本自身の問題、特に日本の民主主義についての問題が横たわっていると考えるからなのです。

イラク戦争が始まる直前のことを思い出してみましょう。
当時のアメリカで「VJ Day」という言葉があちらこちらに踊っていたのを、みなさんは覚えているでしょうか?
「VJ Day」とは日本でいえば終戦記念日のことです。
乱暴に言ってしまえば「全体主義に勝利して、日本を民主化させることに成功した美しきアメリカの思い出」という意味になります。
この日本に対する成功体験が、「だから我々はフセイン独裁体制を倒して、民主主義の恩恵をイラクにも与えることができる」という議論を正当化する論拠として使われたわけです。

多くの日本人にとっては、戸惑いを覚える話ですね。
当時の日本とイラクを同じ土俵で論じられても困るというのが正直なところでしょう。
しかしだからと言って、日本とイラクは無縁の問題であると言えるのでしょうか?
仮にもかつての日本とイラクが比較の対象に挙がったわけです。
かつては民主化の対象とされた日本が、今度はイラクの民主化を支援するために自衛隊を派遣する立場になったのですから…。

日本の民主主義の成熟度は12歳の少年である!
連合国軍総司令官のマッカーサーは、戦後直後の日本をこう表現しました。
この言葉は「12歳」という部分があまりにも強調されてしまった感があり、この後に続く「日本人は新しいモデルや考え方を受け入れることができる」という部分について触れられることは滅多にありません。
しかしマッカーサー発言でもっとも大事なのは、後段にある日本の柔軟性について述べた部分ではないかと僕は考えます。

民主主義の議論ではよく「多数派の専制」という言葉が使われます。
これは多数派が少数派の意見を抹殺してしまうことを指すもので、民主主義が陥りやすいもっとも危険な罠のことを意味します。
つまり、多様な意見を受け入れることができる寛容さや柔軟性にこそ民主主義の本質があるという警句なわけです。
日本は占領下で制度としての民主主義を導入したことになっていますが、根本的な精神のレベルで言えば本当にそうなのでしょうか?
当然、浮かび上がってくる疑問ですが、話をイラク戦争のときに戻しましょう。

イラク戦争開戦時のアメリカはどうだったのでしょうか?
イラクに自衛隊を派遣したときの日本はどうだったのでしょうか?
イラク戦争開戦の過ちについて語り始めたアメリカはどうなのでしょうか?
イラク自衛隊の派遣延長を決めた日本はどうなのでしょうか?


そこには十分に寛容さや柔軟性があったのでしょうか?
それ以前に、民主主義の基礎である議論がきちんと行なわれたと言えるのでしょうか?
このように考えてみると、成熟した民主主義とは果たしてどういうものなのかということが疑問になってきますね。

テロリズムが暴力による異なる意見の否定であり、民主主義にとって最大の敵であることは間違いありません。
またテロと戦うためには、力に頼らざるを得ない面があるのも事実でしょう。
しかし、それでもやはり我々の社会が民主主義を掲げている以上は、議論をしっかりと行なうことが必要なのではないでしょうか?

我々自身の社会は本当に成熟しているのでしょうか?
ちょっと長くなってしまいましたが、みなさんはどのように考えますか?
posted by SNR at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 外交・国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

SNRが斬る今年の重大ニュース! 反日デモ:「爾後北京政府ヲ対手トセズ」なのか?

戦後60年の節目を迎えた2005年。
日本のアジア外交の行き詰まりが、あちらこちらで指摘されましたね。
なかでも驚かされたのが、中国各地で行われた反日デモ。
小泉総理の靖国参拝がアジア諸国の反発を招いていることは知っていましたが、
さすがにあのデモの映像を見たときには、みんなちょっと驚きましたよね?

「小泉政権はアジア外交不在」とか
「日中間のコミュニケーションが欠如している」という小泉外交批判よく耳にします。
でも、これってちょっと間違っていませんか?
たとえ首脳どうしの会談がなくても、小泉総理が靖国神社に参拝したり、中国で反日デモが起きたりすると、それだけでもう日中間のコミュニケーションは行われてしまっているのですから…。

我々も日常生活でよく無言のメッセージを相手に送りますね。
例えば恋人とケンカしたときにわざと音信不通にするとか、休日に敢えて予定を入れちゃうとか、小さな話ばかりですが…。
国家と国家の関係でも、しばしば言葉による直接的コミュニケーションよりも、お互いの行動の方が何百倍も雄弁にメッセージを伝えることがあります。
それだけ外交で使われる言葉が美辞麗句と虚言に満ちているのと同時に、国家が疑心暗鬼に満ちた眼でお互いの行動を眺めていることの証拠でもあるわけですが。

もちろん、こういう無言のコミュニケーションばかりを続けるのは危険です。
最悪の場合はキューバ危機のときのように、核戦争の瀬戸際までエスカレートすることになります。
そこら辺のところを、どこまで分かってやっているのか?
靖国参拝の是非は置いておいたとしても、小泉総理の外交姿勢はちょっと心配になってしまいますよね。

1938年の1月16日、当時の総理大臣近衛文麿は、「爾後国民政府ヲ対手トセズ」(もう蒋介石の国民党政府とは一切交渉しませんという意味)という第1次近衛声明を出して、日中戦争の和平を成立させる機会を逸しました。
そのまま、ずるずると泥沼の戦争にはまっていったわけです。
同じように、「爾後北京政府ヲ対手トセズ」、
「爾後東京政府ヲ対手トセズ」とお互いに応酬するようなことになってしまったら、
誰がその幕引きをするというのですか!

今すぐ中国と戦争だなどと危機を煽るつもりはありませんし、中国に対して卑屈になれと言っているわけではないです。

ただ、あの反日デモは膠着する日中関係を改善する良い機会だったのではないでしょうか?
デモが暴徒化することで、他ならぬ中国政府自体が国際社会で苦しい立場に置かれてしまったのですから。
どの社会の人間関係も同じですが、外交とはつねにあらゆる選択肢をカードとして持っておくことが大切です。
それを自ら閉じてしまえば、自分自身の手足を縛るのと同じことになってしまうのです。

11月のAPECと12月の東アジアサミット。
この2ヶ月は外交の季節と言われていました。
しかし、小泉総理が温家宝首相からペンを借りるというパフォーマンス以外に、目立った進展は見られなかったようです。

カール・フォン・クラウゼビッツの『戦争論』のなかに、
「戦争とは異なる手段をもってする外交の延長である」という言葉があります。
戦争の前には必ず長い外交のプロセスというものがあるわけです。
戦争の反省を口にするのは簡単です。
小泉総理も「二度と戦争は繰り返さない」と何度も繰り返しています。

でもいちばん肝心なところは、戦争を引き起こした外交プロセスにあるわけですから!
そして、相手と交渉しないこと自体もひとつの外交プロセスになってしまうのですから。
もう一度、戦争へと至った外交の歴史をしっかり勉強していただきたいものです。
みなさんは、どう思いますか?
posted by SNR at 18:01| Comment(4) | TrackBack(2) | 外交・国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

北方領土は遠きにありて思ふもの?

最近のマンション騒動で取り上げられませんでしたが、
特別国会が終わったこの11月こそが、政治にとってはとても大事な時期だったわけです。
10月の特別国会は、杉村タイゾー議員や小泉シスターズ一色でしたが、
医療制度改革などの社会保障増税や三位一体改革などの財政再建の議論
そして数々の首脳会談外交と、日本にとって重要な問題が目白押しだったのです。

日米首脳会談、靖国問題を抱えるアジア諸国との会談となるAPEC、
ここまではまだテレビでも取り上げられていました。
でも、あのマンションの一件でプーチン大統領の訪日は完全に吹き飛びましたよね。

どうやら良好らしいですけど、日米関係が大事なのはよくわかります。
政治的には全然うまくいっていないけど、日中関係と日韓関係が大事なのもわかりますよ。
それぞれ大事な貿易相手国であり、近隣諸国であり、軍事的考えても重要な国々です。
そんななかで、いつもロシアが忘れられていませんか?
ムネオ騒動でも注目されたのはムネオ氏本人のことばかり。
ロシアとは一体どんな国なんでしょう?
日本はロシアとどんな関係を築こうとしているのでしょう?
東アジアのなかで、日本とロシアの関係をどう位置づけるのでしょう?
何のイメージもなく「北方領土、北方領土」と言ってみても、いまひとつピンときませんよね。

けだし国家独立自衛の道に二途あり
第一に主権線を守禦すること
第二には利益線を保護することである…


第1回帝国議会(1890年)における山県有朋首相の演説です。
利益線とは主権線を守る上で重要な場所であり、当時は朝鮮半島が想定されていました。
この利益線の確保を目指して、後に日清戦争、日露戦争を戦うことになります。
いまの日本の利益線を考えて、政府は外交をしているのでしょうか?

経済のグローバル化は、おそらく「利益線」の存在を曖昧にしているでしょう。
昔のように、どこからどこと明確な線を引くことは困難でしょう。
渡り鳥が運ぶ鳥インフルエンザや地球温暖化などを考えれば、
もう地球全体が利益線のようなものです。
まあ、こういうのを「コモンズ」というわけですが、
少なくとも、外交関係が正常に機能しているとは言いがたい東アジア諸国との関係や
石油をはじめとする天然資源の問題は、日本にとって守るべき利益線の問題ではないのでしょうか?

「経済協力⇒北方領土返還」という比較的単純な図式が崩れたいまだからこそ、
しっかりと外交というものを総合的に長期的な視野から組み立ててもらいたいものです。

およそ国として主権線および利益線を保たぬ国はござりませぬ
方現列国の間に介立して一国の独立を維持するには
ひとり主権線を守禦するのみにては決して十分とは申されませぬ


山県有朋演説の続きの部分です。
主権線をいたずらに主張するだけでなく、複雑に絡み合った「利益線」を解きほぐしながら外交を組み立てていく戦略を練ってもらいたいものです。
北方領土はしばらく「遠きにありて思ふもの」なのかもしれません。
posted by SNR at 21:00| Comment(1) | TrackBack(2) | 外交・国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月16日

東と西で 「二都物語」?

最近、めっきり寒くなってきました。
寒くなってくると、こころ温まる話題でね。
こんな気分にも自然となってきますよ。

そうです、紀宮さまのご結婚です。
以前、ロールモデルについて書きましたが、
ありえないくらいに、しっかりとロールモデルですよ。
ドロシー・ローノルトさんの『子どもが育つ魔法の言葉』を
皇太子さまが紹介したときから、そんな気がしてましたけど。

皇族って、単に日本の伝統芸能を守っているだけじゃないんですね。
人間にとって、社会にとって大事なことも、しっかりと守っていたんですね。
あれで皇室の方々がもうちょっとイケてると…
というのは冗談ですが、
ボンボニエールはなかなかお洒落で素敵だったし…。
以上は、風雅でこころ温まる東の都でのお話。

その頃、西の都、京都では…。
颯爽とヘリで京都御所に乗りつけてしまいましたね。
彼の国の大統領ですよ。
侘び寂びも、へったくれもありませんね。
「京都議定書」を蹴り飛ばしておいて、京都に入るな!
なんて言いたい気もしますが、
まあ、そこは百歩譲って置いておきましょう。

それにしても彼はいったい何をしに日本へやってきたんですか?
まさか、日本人も滅多に入れない京都御所に泊り込んで、
金閣寺を見て「ワンダフル!」なんて言いに来たわけではないですよね?

「なんてったって、日米関係がいちばん大事!」
どうやら、これが唯一のテーマだったらしいですよ。( ̄□ ̄;)

あのですねぇ。
日米関係が大事なことくらい、あんたに言われなくたって、
みんなわかってますよー!
イラクにへらへらついていっているのを見れば、国際社会だってとうの昔に承知ですよ。

肝心なのは、
その大事な日米関係をどうやって日米両国民に役立てていくのかじゃないんですか!!!
少なくとも日本国民はこれっぽっちも喜んでませんよ。
沖縄の基地負担は減らず、
安全性が定かでない牛肉を押し売りされ、
挙句の果てには、イラク派遣延長まで約束させられて…。

というわけで、結局また怒ってしまいました…。
本当はこころ温まる話で終わろうと思ったのになあ。
西の都で唯一の救いは、紅葉がとてもきれいだったことでしょうか。
posted by SNR at 00:39| Comment(0) | TrackBack(1) | 外交・国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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