国民的なコンセンサスがあるのかないのか分からないまま、「非戦闘地域」というこじつけに等しい理屈で派遣を続けた陸上自衛隊ですが、約2年半に及ぶ活動を一人の犠牲者も出さずにここまで来られたことは喜ぶべきことでしょう。
国際貢献が日本の外交政策にとって大きな意味を持つのは当然ですが、今回の派遣が小泉総理の武勇伝で終わってしまう話ではありません。
かつて日露戦争における薄氷を踏むような勝利が美化されてしまったように、何の検証もないまま成功体験とされてしまっては困るのです。
自衛隊員に対して具体的にどのような危険が及ぶことを、どこまで本気で想定していたのか?
もし武力攻撃などが起こった場合に、どこまで綿密な対応や出口戦略を立てていたのか?
小泉総理に聞いてみなければ分からないことだらけですが、日本に限らず民主主義国にとって海外派兵というのは大きな決断なのですから、それこそ「考えられないことまで考える」くらいの準備をしていたのかどうか気になるところです。
イランの核開発問題や北朝鮮のミサイル実験準備の可能性などが報じられているように、大量破壊兵器の拡散は今なお国際社会の大きな関心事のひとつです。
米ソ冷戦下におけるアメリカの核抑止戦略の根底には、ハーマン・カーンが唱えた「考えられないことを考える」(Thinking about Unthinkable)という考え方がありました。
つまり、核兵器を使うことができる現実的可能性は極めて低く、普通に考えれば、これは事実上「考えられない」兵器となるわけです。
しかし、核抑止論というものが成り立つためには、核兵器が最初から使用を「考えられない」兵器であったのでは相手に対する脅しになりません。
つまり、最初から「いざとなったら報復として使用できる兵器」であると考えなければ、抑止力として機能しないので、敢えて「考えられないことを考えなければならない」というわけです。
ちょっと複雑な議論に聞こえたかもしれませんが、これがまさに一触即発の心理戦が抱える本質であり、そこから「相手を本気で思いとどまらせるには、こちらも本気で使用可能性の低い兵器の使用について考えなくてはならない」という結論が導き出されるのです。
もちろん、この結果として後世から見れば滑稽に映るほど大量の核兵器が生産されて、新たな核拡散と流出の危険を招く源となっているわけです。
しかし、だからといって「考えること」さえしなければ、危険な事態が生じることもないだろうというのは安直な発想ではないでしょうか?
そもそもイラクに自衛隊を派遣したことの是非については、いろいろな議論があるでしょう。
アメリカの戦略にどこまで協力するのか、これまた議論の分かれるところでしょう。
しかし、それ以前の問題として、危険な地域へと派遣するのであれば、「考えられないことまで考える」姿勢が必要であることを、しっかりと自覚して準備をしていたのでしょうか?今後の国際貢献や安全保障のあり方を考える上でも、ただ陸上自衛隊の帰国を歓迎するのではなく、しっかりと検証してほしいものです。