2006年05月09日

「日出(いず)る国の工場」の未来

デフレ脱却と言われているが、日本の景気回復は本物なのか?
格差社会などと言われるが、本当に格差が固定化されるような社会になってしまうのか?
世界的な競争のなかで、日本はこれからどうなっていくのか?
こうした問題が新聞やテレビで取り上げられない日はありませんね。

一見すると順調そうな日本経済でも、国際競争の行方を考えると、やっぱり不安になってきてしまうのでしょう。
とりわけ、中国やインドなどをはじめとするBRICs諸国との競争は世界経済の大きな地殻変動を引き起こす可能性があるといわれています。
グローバリゼーションの恩恵を背に成長するこれらの国々との競争は、これまでの先進国国内の経済構造にも大きな影響を与えるからです。
彼らが生み出す安い輸出品が、先進国内の労働者の仕事と生活を脅かすというわけです。

中国の工場労働者数は1億900万人、先進7カ国のすべてを合わせても5300万人。
こういう数字だけ並べてみると、なんだか心配ばかりが先に立ってきますが、現実には我々も安い輸入品を購入したり、逆に購買力をつけたこれらの国の人々が我々の輸出品を買ってくれたりと、悪いことばかりではないのでなかなか複雑です。
そうはいっても、これまで工業製品の輸出で成り立ってきた日本が、いったいどうなってしまうのか、新たに付加価値があり競争力のある産業を育てることができるのかを考えてみることは必要でしょう。

もう20年近くも前に出版されたものですが、村上春樹・安西水丸共著の『日出(いず)る国の工場』という本があります。
この本は「結婚式場」や「人体標本工場」、あるいは「コム・デ・ギャルソン」など、普通の工場見学ではあまり思い浮かばないような場所を訪ねるエッセイで、結婚式場を「セレモニーを生産する工場」と捉えたり、コム・デ・ギャルソンを「思想としての洋服をつくる工場」と捉えたりする発想が、ずいぶん前から僕のお気に入りになっています。

例えば、結婚式場では「松戸・玉姫殿」に取材しているのですが、以下のような具合になります。
工場としての結婚式場、あるいは「結婚式場」という名の工場の原料は言うまでもなく新郎・新婦という名で呼ばれる一組の男女であり、その機械的推進力は専門的ノウハウと手なれたサーヴィスであり、中心的付加価値は感動(あるいはもう少し控えめに情緒の高揚)であり、その需要を支えるのは世間一般の「しきたり・慣習・習慣」である。
そのようにして結婚式場では今日も(それが仏滅でさえなければ)ひとつまたひとつと、「セレモニー」というきらびやかな商品が産みだされていくわけである。


結婚式場が国際競争力を求められる時代が来るのかどうか、僕にはよくわかりませんが、このような発想でいろいろな日本の産業を捉えてみると、あんまり肩に力を入れることなく、面白い発想が生まれてくるのではないかなと思っています。
例えば、「スタジオ・ジブリ」などに代表される日本のアニメーションは、莫大な資金を投資して派手なアクションを演じるハリウッド映画なんかと比較するよりも、精密な技術力で世界と勝負する日本の小さな町工場の延長線上にあると思った方が自然ではないですか?

とにかく、堅苦しく「日本のサービス産業は国際競争力という点で世界に遅れをとってきたから、新たなイノベーションを求め云々」なんて考えるよりも、ずっと生産的なのではないかと思います。
所詮は、これまで高品質・高付加価値の工業製品を生み出してきた同じ日本人がやることなのですから。
posted by SNR at 19:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

死ぬ権利、死なす権利、死ぬ義務
Excerpt: 臓器移植を問う市民れんぞく講座からお送りするシリーズの最後になります。  この臓器移植と脳死の問題を弊ブログで取り上げてきた理由は今回の記事を載せるためです。医療という切り口から見えてくる今日の社会の..
Weblog: 晴耕雨読
Tracked: 2006-05-10 23:30
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。