2006年04月14日

二大政党というフィクションを超えて

ずいぶんと長い間お休みしてしまい、久しぶりの記事アップとなります。
みなさん、お元気ですか?

さて、お休みしている間にも、いろいろなことが起きましたね
小学校高学年への英語必修化、沖縄普天間基地の返還問題、教育基本法の改正問題等々です。
このようにブランクを空けてしまうと、どのテーマから再開しようか困ってしまうのですが、
今日は新たに小沢氏を新代表に選出した民主党について取り上げたいと思います。

小沢新代表が「ニュー小沢」を掲げて、党内融和を図りながら、戦う姿勢を見せていることは、みなさんもご存知のことでしょう。
野党が与党に戦いを挑むのは当然のことですし、受ける自民党の側も戦闘姿勢を見せており、これは歓迎すべきことだと思います。
前原前代表のときは、子ども扱いされている面が目立ちましたからね。

しかし、ここでひとつ忘れてはならないことがあると思うわけです。
今回の騒動の発端となった、永田前議員も未熟ながらもメール問題で戦う姿勢を見せていたということです。
ただ、何が問題であったかあというと、「戦う姿勢ができていないのに、無謀な戦いを挑んでしまった」。
これに尽きるのではないでしょうか?
僕個人はこうした無謀な戦いを挑んだ背景に、「二大政党というフィクション」があったのではないかと思います。

太平洋戦争に突入していく日本陸軍に、面白いエピソードがあります。
日本陸軍は攻撃力も防御力も格段に違う自軍の戦車を、戦車であるからにはどの国の戦車も同じであるというフィクションを前提にして戦っていたのです。

またもや戦争の反省かと思う方には、不良債権の話をしましょう。
バブル崩壊後、長期に渡って不良債権は存在しないというフィクションを前提に、その処理を徒に遅らせてきたことは、みなさんの記憶にも新しいでしょう。
こういう事例はいくらでも転がっています。
例えば、年金制度は安心というフィクションを前提に行った年金制度改革や、株式時価総額というフィクションを前提にM&Aを繰り返していたライブドア等々です。

フィクションは大きくなればなるほど、繰返し唱えれば唱えるほど、後々から見れば奇妙なほどに、人間や社会の行動を規定してしまうものなのではないでしょうか?
民主党の場合も、「昨年の総選挙で大敗を喫したとはいえ、二大政党なのだから、自分たちには政権をひっくり返す力があるのだ」という、フィクションに基づく安易な発想があったとは言えないでしょうか?
そしてメール問題で、情報力や組織のマネジメント能力という点で、まったく比較にならない政党であることを見事に露呈しまったというわけです。

新たに発足した小沢民主党は、職員を含めた組織をしっかりと立て直し、たとえ小さな勝利であっても、地に足の着いた政治活動で得る必要があるのではないでしょうか?
健全な野党のないところに、健全な与党は育たないわけですから。
まずは千葉7区での補選を、有権者もしっかり見つめていきたいものですね。
posted by SNR at 20:22| Comment(4) | TrackBack(3) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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