2006年03月09日

雄弁・訥弁・詭弁…

民主党の新たな国対委員長に就任したのは、早稲田大学「雄弁会」出身の渡部恒三議員ですが、独特の会津訛りでのおしゃべりは健在のようです。
「なごませ系老人力」などと言われているようですが、自らを「旗本退屈男」と称したり、「国会が終わったら全国漫遊だ」と発言したり、笑いを誘いながら進めていく手法には、ある種の貫禄を感じさせてくれます。

一方で、耐震偽装問題はまた新たな展開です。
今度は札幌を中心に新たな偽装が発覚しました。
「自分の目的に数値が合わないので、信念に基づいて数値を改ざんした。偽装ではない」というのは、浅沼二級建築士の言葉。
しかし、その信念は「自分がもし客の立場であったら買わない」という驚くべきもののようです。
以前、福岡の建築士が「偽装の意図はなかったので、偽装ではない」と言い張ったこともありましたね。
耐震基準という論理そのものが揺らいでいることも問題ですが、「詭弁」もここまでくるとあきれ果ててしまいますね。

ここまで「雄弁」「詭弁」という言葉を使ってきましたが、日本語には「訥弁(とつべん)」という言葉があるのをご存知でしょうか?
「訥弁」とは、「つかえたりして、なめらかでないへたなしゃべり方」という意味ですが、これは日本では必ずしも否定的な意味ではなく、「訥弁だが真心のこもった挨拶」などというように使われることもあります。
まさに渡部恒三議員の話しぶりは、この「訥弁」に当てはまると言えるでしょう。

そもそも明治維新に日本が欧米から輸入したもののうちで、「演説」という概念ほど身につかなかったものはないと言えるかもしれません。
もともと、日本では不特定多数の人間を「雄弁」に説得するという伝統が薄かったと言われています。
「沈黙は金、雄弁は銀」と言われるように、言葉を尽くしても所詮は「詭弁」に過ぎないものとなるか、あるいは「訥弁」で人情に訴えるということが多かったのではないでしょうか。
この結果、欧米的伝統では雄弁な論争を行うべき政治の世界でも、舞台裏の談合でものごとが決まっていくのが常態となってしまったのでしょう。

渡部恒三議員の「訥弁」も良いのですが、やっぱり単なる「情の世界」ではなく、しっかりとした「論理の世界」で政治を見せてほしいですね。
一方で、「耐震基準の論理」が引っ込んで、「詭弁」がまかり通るのも困ってしまいます。
「二大政党制」や「説明責任」という言葉が虚しく踊る背景には、我々日本人のことばに対する接し方があることを考える時期に来ているのでしょうか。
そのためには真の「雄弁」を育てる努力が必要とされているかもしれません。
posted by SNR at 22:29| Comment(4) | TrackBack(8) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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