2006年03月02日

民主党は坂の上に何を見ていたのか?

渡部恒三元衆院副議長の民主党国対委員長就任と、きわめて異例な人事が行われました。
9月に控えた代表選挙をにらみ、たらい回しにされた人事を長老が引き取ったという形なのでしょうか?
しかし、永田議員の爆弾発言に始まった一連の騒動を振り返ってみると、この2週間はいったい何だったのかという虚しさだけが残ります。

「半年や一年は大いに暴れてみせましょう」
連合艦隊司令官の山本五十六大将がこう述べて始まったのが、あの悲惨な結末を招いた太平洋戦争でした。
まさか「1週間や10日は大いに暴れてみせましょう」と思ったのではないでしょうが、今回の永田議員の質問は、「そのうち新たな証拠もみつかるだろう」という見切り発車だったようです。
その結果、本人だけでなく二大政党の一翼を担うはずであった民主党に大きなダメージを与え、国会や政治そのものに対する不信感を高めてしまいました。

ところで、このように書くとまたもや太平洋戦争のときの教訓なのかとうんざりする方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、軍事的観点から見て冒険主義的な戦争を戦ったという意味では、日露戦争も同じようなものでした。
大国ロシアの隙をついて初戦の勝利を収め、何とか外債で戦費をつなぎながら、アメリカの仲裁に身を委ねるというのが、大雑把ながらも日露戦争の本質だったのです。

しかし、当時の日本国内の世論はそんな現実を知らずに、主戦論が大いに幅をきかせていました。
戸水寛人を筆頭に、東京帝国大学教授を中心としたエリート集団が、奉天会戦の勝利に乗じて「バイカル湖まで攻めよ」などという無謀な論調を煽ったのです。
同じ東大出身の永田議員を同罪だとは言いませんが、エリートが情勢を読めずに見切り発車をしたという点では似ていると思います。

このように薄氷を踏むような勝利であった日露戦争ですが、勝利という甘い現実を前に教訓として生かされることがなかったようです。
そして太平洋戦争の敗戦という形で、苦い体験を味わうことになったわけです。
ちなみに日露戦争の実態が明らかになったのは、戦後になって機密文書が開示されてのことでした。

しかし、いかに日露戦争が危ういものであったとはいえ、その背景には多くの人が認める日本の国益が存在していました。
まさに坂の上には曲がりなりにも国益というものが存在していたわけです。
さて、今回の民主党はどうでしょうか?
3月2日、2006年度予算案は何事もなかったかのように衆議院を通過していきました。
民主党は坂の上にいったい何を見ていたのでしょうか?
posted by SNR at 22:25| Comment(3) | TrackBack(7) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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