2006年01月20日

ホリエモン再評価とその功罪

ライブドア本社の粉飾決算疑惑が持ち上がり、東京証券取引所は売買注文の殺到で大混乱。ついには元幹部の自殺騒動まで起こり、ライブドア関連の報道に世間の注目が集まる状況が続いています。
まさにライブドア・ショックという言葉がぴったりの状況になってきたなかで、ライブドアやホリエモンについての再評価が行われ始めています。

もちろん、東京地検の捜査が入っているわけですから、ホリエモン評価はまさに暴落です。
ホリエモンが行ってきた株式分割やM&A頼みの成長方法も、批判の的となっています。
また、ホリエモンが象徴と見られてきた「IT産業」や「ベンチャービジネス」、そして「ヒルズ族」などのITや株の長者も、信頼性や権威を失墜する危機に立たされています。
ホリエモンの登場によって株式市場に参加した個人投資家たちも、無知で倫理観のない市場の攪乱者であるかのような言われ方をしています。
いわく、「もともと胡散臭いと思っていた」「錬金術のマネーゲーム」「所詮は中身がない虚業」などというものです。
さて、こういう評価はいつまで続くのか?
本当にそういう評価ばかりで良いのかというのが本日のお話です。

世の中のものごとに対する見方が、大きく変わってしまうことがあります。
新しく生まれた見方を、「修正主義」(revisionism)と呼びます。
たとえば、高度経済成長を遂げた日本経済のシステムを絶賛した評価が、日米貿易摩擦が悪化したことにより、「ジャパン・リビジョニスト」(Japan Revisionist)という人たちが評価を180度変えてしまったことなどは、日本人にもなじみのあることでしょう。
今回のことでいえば、強制捜査を機に「新しい時代の寵児」などともてはやされたホリエモン、およびホリエモンがシンボルとなってきたものが、マイナスのイメージで見られるようになってきているわけです。

ところがこういう大きな変化には、しばしば大きな落とし穴があります。
ものの見方が極端にぶれる過程で、本当に大事なものまでも、悪いものとして切り捨てられてしまうことがあるのです。
当たり前のことですが、ホリエモンに関するありとあらゆる事柄を、すべて否定してしまうことがあってはなりません。

「みんなが絵を買えないとしても、プリントのポスターなら誰でも買えるじゃないか!」
これは現代ポップアートの先駆者である、アンディ・ウォーホールが言った言葉です。
ウォーホールは缶入りスープを描いたり、マリリン・モンローなどの有名人を描いたりして、それまで一部の人の趣味でしかなかったアートを大衆のものへと変えたわけですが、大量生産可能で廉価な版画やポスターを出したことも、当時としては画期的なことだったのです。

それまで一部の人しか享受できなかったものの門戸を開放すること。
それ自体は決して悪いことではありません。
多くの人に親しまれることで、ウォーホールのアート自体の価値も高まりました。
株式分割により多くの個人投資家が株に投資することができるようになり、ライブドアの株式時価総額が上がったことも、それ自体は決して悪いことでありません。
ただ、時価総額を釣り上げることが自己目的化して、そのためには不正な手段までも用いなければならなくなってしまったことが問題なわけです。

今回のショックがきっかけで、せっかく増えてきた個人投資家を減らしてしまってはいけないと思います。
株を外国人投資家や機関投資家のような大口投資家だけのものにしてしまっては、健全な株式市場が育たなくなってしまうでしょう。
ホリエモンが社会に提起してきたさまざまな問題は、株式分割以外にもあると思います。
これを機に冷静な判断をしたいものですね。
posted by SNR at 20:43| Comment(10) | TrackBack(4) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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