2006年01月29日

ナベツネさんの正論と限界

読売新聞の渡辺恒雄会長の言論活動が活発になっています。
僕は『論座』に掲載された対談を読んでいませんが、筑紫哲也氏とのテレビ対談は見ました。
主な論点は、ホリエモンに代表されるような市場経済原理主義への警鐘総理の靖国公式参拝への反対であったように思います。

犬猿の仲であった読売と朝日が手を組んだと話題になりましたが、僕から見れば至極全うなことを仰っているなというのが感想です。
特に靖国参拝問題については、なかなか重みと迫力がある発言であると感じました。
80歳の大台を手前にして歴史を知る人間として発言をしなければならないという気迫はもちろんですが、ソ連の日ソ中立条約破棄に伴う侵攻とシベリア抑留について日本人が抗議する資格について述べた点も説得力がありました。
東京裁判には問題点があるかもしれないが、まずは自分たちの身を正してからでなければ、相手の戦争犯罪行為に対しても抗議できない。
まさに正論で、おっしゃるとおりだと思います。

市場経済原理主義に対する警鐘も間違っていないと思います。
行き過ぎた市場原理の信奉はモラルハザードを生み、却って市場全体の信頼を喪失する危険性を孕んでいます。
それだけではありません。
政府が出した統計は因果関係を否定しましたが、富の配分に偏りが生じて貧富の格差を助長する可能性もあります。

しかし、こうした正論が既成勢力の既得権益維持の方便に用いられるとしたら、これを看過することはできません。
「若者は歴史を知らずに靖国参拝を支持している」「マネーゲームに興じる若者がホリエモンを支持した」、だから若い者はダメだというような空気があるのを感じてしまうのは僕だけでしょうか?

「構造改革」「財政再建」「人口減少時代」「格差社会」等々と、ニュースはさまざまなキーワードで溢れていますが、「少子高齢化」の時代だからこそ「世代間の対立」という問題を、もっと真剣に考える必要があると思います。
ホリエモンのような現象が起こった時代背景として、昔からよくある錬金術のマネーゲームと見るのは短絡的ではないでしょうか?
若い世代の強い不満と閉塞感があったことをしっかり認識しなければ、今後も同じようなことが繰り返されるだけではないでしょうか?
プロ野球参入に際して「ボクの知らんヤツはダメだ」と言った彼の真意は分かりませんが、多くの人が新規参入の門戸は閉ざされているのだという印象を持ったことは間違いないと思います。
今回のライブドア・ショックで、若くして成功するためにはやはり法を犯すくらいのことをしないとダメなのだというムードになってしまってはいけないと思うのです。

ちなみに、僕自身はマネーゲームには何の関心も持っていません。
おカネよりも、もっと大切なことがあると思っています。
それでも、いまの日本社会はまだまだ閉鎖的だと思っています。
たとえしっかりとした実業のための能力を持っていたとしても、おカネや知名度がないと個人が成功するための機会すら掴みにくい世の中だと感じてしまいます。

確かに渡辺常雄会長のおっしゃるとおり、自分を含めて若い世代は歴史の知識が少ないと思います。
しかし、あの無謀な戦争へと突き進んだ背景には、貧富の格差と若手軍人の鬱積した不満があったことをお忘れじゃないでしょうか?
国内で「昭和維新」と称してクーデータを繰り返し、対外的には「満州は日本の生命線」と称して拡張を続けていった背景には、農村部の貧困と政界や財界などの既成勢力に対する強い不満があったことを…。

あのときの失敗を二度と繰り返さないためにも、今回のことを機に若い世代にも開かれた社会のあり方を、しっかりと考えていただきたいものですね。
posted by SNR at 18:51| Comment(6) | TrackBack(2) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月27日

SNR通信 その3

みなさん、お元気ですか?
今年第1弾の「SNR通信」です。
年明け早々、ライブドア・ショックやBSE問題など、大きな事件が相次いで起こっていますね。
早速、気になるランキングに行ってみましょうか。

今回の対象となる記事は、昨年12月23日にアップした「SNRが斬る今年の重大ニュース!ライブドア:ホリエモンは日本人なのか?」から、1月20日にアップした「ホリエモン再評価とその功罪」までです。
偶然ですがどちらの記事も、いま話題のホリエモンについて書いたものですね。
いったい何位にランキングされているでしょうか?
みなさんが気になる記事のページビューは、どうなっているでしょうか?
さっそく、気になるベスト5を出してみましょう!

1位 SNRが斬る今年の重大ニュース!相次ぐ詐欺事件:『信』無くして立てるのか?
2位 命や生活に関する問題を忘れてしまったのですか?
3位 ホリエモン再評価とその功罪
4位 大人は数字が好きで困ります!
5位 すべてが後の祭り…

今回の1位は詐欺事件を扱った「SNRが斬る今年の重大ニュース!相次ぐ詐欺事件:『信』無くして立てるのか?」、374ページビューで2位の「命や生活に関する問題を忘れてしまったのですか?」を100ページビュー近く離しての圧勝でありました。
というわけで直接ホリエモンを扱った記事は、「ホリエモン再評価とその功罪」が3位に「SNRが斬る今年の重大ニュース!ライブドア:ホリエモンは日本人なのか?」が圏外の6位に入っただけでありました。

1位となった「SNRが斬る今年の重大ニュース!相次ぐ詐欺事件:『信』無くして立てるのか?」、相次ぐ詐欺事件で日本社会の「信頼」が崩れていることに警鐘を鳴らしているもので、高度な資本取引が行われるためには、「信頼」という社会資本が極めて重要な役割を果たしていることを書いたものでした。
ホリエモンやジェイコム株誤発注にも触れており、詐欺事件を話の入り口にしながら、実はいま批判の的となっている「マネーゲーム」の行き過ぎにも警鐘を鳴らすものだったんですね。
と書くと自画自賛のようですが、読み忘れた方は是非読んでみてくださいね。
ライブドア・ショックが起きた後だからこそ、読んでみると意外と面白いかもしれません。

さて、ライブドア・ショックとは一切関係ない記事では、4位に「大人は数字が好きで困ります!」が、5位に「すべてが後の祭り…」が入りました。
「大人は数字が好きで困ります!」は、もうこのブログの定番(?)となりつつある、サン=テグジュペリの言葉をヒントに書いたもので、何かと「数合わせ」に終始しがちな構造改革に切り込んだものです。
僕としてはサン=テグジュペリのシリーズが上位に来てくれるとかなり嬉しいですね。

そのほかに目立った現象といえば、ヒューザー小嶋社長の証人喚問が開かれた1月17日に、前回の証人喚問が行われる前日に書いた「国会証人喚問に茶番劇は必要ないですから!」にアクセスが殺到したことです。
1日で200ページビューというのは、もちろん新記録でした。
ただ、アクセスしていただいたみなさんのなかには、おそらく前回の証人喚問の記事だったことに腹を立てた方もいらっしゃったと思います。
そんなこともあろうかと思って、僕としては追記として新しい記事へのリンクもつけておいたのですが…。
そんなの気がつかなかったという方々、大変申し訳ありませんでした。

さて最後になってしまいましたが、貴重なコメントを下さったみなさん、本当にありがとうございました。
いただいたコメントには必ず僕のコメントをつけるようにしていますが、なかなか深く掘り下げられないのが現状です。
というわけで、近いうちに一度「SNRコメント感謝祭」というような形で、みなさんのコメントを総括する記事も書きたいなと思っています。
では、寒い日が続きますが、みなさんお体に気をつけて、今後ともSNRブログ「after 911」をよろしくお願いいたします。
posted by SNR at 12:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

大荒れ通常国会は国民を幸せにするのか?

ライブドア堀江社長の逮捕が衝撃を与えているなかで、第164通常国会が開幕しました。
小泉チルドレンにばかり注目が集まった秋の特別国会に比べれば、本格的な論戦が期待できそうな気もします。

民主党は巨大与党に支えられた小泉政権に対して、ライブドアマンション米国産牛肉の3点セットで攻めると意気込んでいるようです。
衆議院の3分の2を与党が占めるという異常事態のなかで、野党第一党が元気なのは決して悪いことではないと思います。
ただ、与野党が激しく論戦をしても、必ずしも国民が幸せになるとは限らないところが、なかなか難しいところです。

確かに、ライブドアマンション米国産牛肉は、現在もっとも国民の関心を集めている問題でしょう。
しかし、これらを国会で議論するのが国民にとって本当に良いことであるのかどうかについて、我々は慎重に判断をしなければならないでしょう。
うっかりすると、与野党のパフォーマンス合戦に神経が注がれて、本当に国民にとって大事な法案が素通りしてしまう危険性があるからです。

特に危険なのがライブドア問題です。
この問題は見かけが派手ですし、野党は国民にアピールする機会到来とばかりに、ホリエモンが自民党による事実上の刺客として選挙に出たことについて、小泉・武部・竹中ラインの責任問題を追及してくるでしょう。
しかし、この論争は国民にとって何の益もないものになりかねない危険性があると思います。
大敗を喫した民主党から見れば、選挙の問題は遺恨試合なのかもしれません。
しかし、そこでホリエモンを応援したことを責めても、いたずらに政局が混乱するだけで、本当に国民の方を見た議論だと言えるでしょうか?
現に多くの人たちが、規制や古い勢力に打ち向かっていくというホリエモンの姿勢については、今でも名残惜しく思っているわけです。
自民党の古い体質の人たちやマスコミが勢いづいているからといって、それが国民の望むところでないことに、野党の人たちも気がつくべきなのだと思います。

今回の国会は「行革国会」となると言われていましたが、民主党は「安全国会」にすると宣言しています。
これは国会の場では対立軸になるのかもしれませんが、国民の目から見れば「改革」と「安全」は両立してもらわなければ困る問題なのです。
耐震偽装と米国産牛肉の議論は、再発防止という観点からしっかりと議論してもらわなければ困ります。
しかし、「構造改革が虚業では困ります!」という記事にも書きましたが、あるべき改革の姿は「自由で公正な市場競争」を追求することであるはずです。
そして「自由で公正な市場競争」は、不正やそれに伴う安全の崩壊を、きちんと監視して正していける仕組みを必要としているのです。
このような「改革」と「安全」の両立こそが、真に国民が政治に対して求めているものなのではないでしょうか?

勢力が弱体化した民主党は、なかなか政策のポジションを定めるのが難しいと思います。
特に昨年の選挙で「パフォーマンス」に負けたことを考えれば、「与党追及パフォーマンス」に走りたくなる気持ちの焦りもあるでしょう。
しかし昨年の選挙で、そもそもの失敗の始まりは、郵政民営化法案に大手を振るって反対したことだったわけです。
そのときのことを思い出して、しっかりと何が国民のためになるのかを考えて臨んでもらいたいものです。
そして我々国民の側も、しっかり正しい判断ができる目を養いたいものですね。
posted by SNR at 22:42| Comment(7) | TrackBack(4) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月22日

構造改革が虚業では困ります!

大きなニュースが相次いでマスコミを賑わせているなか、いよいよ通常国会が始まりました。
小泉総理らは「改革の総仕上げ」を合言葉にしているようですが、通常国会で本当に問われるべきは何なのでしょうか?

一方で、いまの日本は「信用崩壊」の危機に瀕していると思います。
昨年の暮れに『SNRが斬る今年の重大ニュース!相次ぐ詐欺被害:「信」無くして立てるのか?』という記事を書きました。
社会を支えるもっとも大事なものは「信用」であること、そして「信用」がベースになければ経済も成り立ち得ないことを述べました。
記事で扱った詐欺事件ばかりでなく、耐震偽装問題、ライブドアショック、そして米国産牛肉の問題まで、年が明けても「信用」が問われるニュースが続いています。

「構造改革なくして景気回復なし」と、小泉総理が一時期ヒステリックに叫んでいましたが、「景気回復に貢献するような構造改革を行なうべし」というのが本来あるべき政策の姿でした。
すなわち「健全な市場競争を妨げている仕組みを改革しましょう」というのが、本来の精神であったわけです。
確かに「構造改革」という言葉が次第にひとり歩きを始めて、何でも民間に任せたり規制を緩和したりすれば良いのではないかという風潮が出てきたことは否めません。
そして耐震偽装マンションやライブドアのような問題が出てくると、今度は「構造改革」路線そのものが間違っていたかのような印象が広まりつつあります。
しかし、ものごとはそう単純なものではありません。
詐欺的な行為を許してしまった制度やルールの不備と、「改革」の方向性そのものが間違っていることは別問題なのです。

では、いま起こっていることは改革の過渡期に見られる現象だから放っておいて構わないのでしょうか?
もちろん、そんなことはありません。
なぜなら、そこには冒頭で述べた「信用」という問題が横たわっているからです。

いくら改革を進めたとしても、制度やルールに対する「信用」がなければ、誰もその市場には積極的に参加しません。
誰しも自分が被害者にはなりたくないですし、それを避けようと思えば自らコストを払って調査をしなければならないのですから、当然のように市場取引は停滞します。
信用のない市場からは、ヒトもカネも容易に逃げていってしまいます。
こうした本末転倒な事態に至らぬよう、「健全な市場競争」という原点に立ち返ってみることが必要となるでしょう。
「健全な市場競争」とは、「自由で公正な市場競争」と読み替えることができます。
いままさに問われているのは、「信用」を担保する「公正な市場」の形成なのです。

小泉総理とホリエモンを並べて論じるのは失礼かもしれませんが、両者は似ている部分がかなりあると思います。
マスコミを最大限利用していることや、インパクトのあるワンフレーズで社会に大きな影響を与えていることだけではありません。
ホリエモンにとって株式時価総額の上昇が生命線であったように、小泉総理の命綱は高い内閣支持率にあります。
常に「改革」に対する期待感を膨らませることによって、高い支持率を維持してきたと言っても良いでしょう。
しかし、かんじんの「改革」の中身が虚像に過ぎなければ、本業の中身が伴っていなかったホリエモンと本質的に何も変わらないことになってしまいます。

小泉総理は新たな「改革」のアドバルーンを揚げるだけでなく、もう一度「公正な市場」とは何かという観点から総点検をしてもらいたいものです。
自由ばかりでなく公正さが正しく追求されてこそ、信用を備えた活気のある市場となるわけです。
回復し始めた景気を失速させないためにも、通常国会では与野党を超えて真剣にこの問題に取り組んでもらいたいと思います。
posted by SNR at 18:25| Comment(4) | TrackBack(1) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月20日

ホリエモン再評価とその功罪

ライブドア本社の粉飾決算疑惑が持ち上がり、東京証券取引所は売買注文の殺到で大混乱。ついには元幹部の自殺騒動まで起こり、ライブドア関連の報道に世間の注目が集まる状況が続いています。
まさにライブドア・ショックという言葉がぴったりの状況になってきたなかで、ライブドアやホリエモンについての再評価が行われ始めています。

もちろん、東京地検の捜査が入っているわけですから、ホリエモン評価はまさに暴落です。
ホリエモンが行ってきた株式分割やM&A頼みの成長方法も、批判の的となっています。
また、ホリエモンが象徴と見られてきた「IT産業」や「ベンチャービジネス」、そして「ヒルズ族」などのITや株の長者も、信頼性や権威を失墜する危機に立たされています。
ホリエモンの登場によって株式市場に参加した個人投資家たちも、無知で倫理観のない市場の攪乱者であるかのような言われ方をしています。
いわく、「もともと胡散臭いと思っていた」「錬金術のマネーゲーム」「所詮は中身がない虚業」などというものです。
さて、こういう評価はいつまで続くのか?
本当にそういう評価ばかりで良いのかというのが本日のお話です。

世の中のものごとに対する見方が、大きく変わってしまうことがあります。
新しく生まれた見方を、「修正主義」(revisionism)と呼びます。
たとえば、高度経済成長を遂げた日本経済のシステムを絶賛した評価が、日米貿易摩擦が悪化したことにより、「ジャパン・リビジョニスト」(Japan Revisionist)という人たちが評価を180度変えてしまったことなどは、日本人にもなじみのあることでしょう。
今回のことでいえば、強制捜査を機に「新しい時代の寵児」などともてはやされたホリエモン、およびホリエモンがシンボルとなってきたものが、マイナスのイメージで見られるようになってきているわけです。

ところがこういう大きな変化には、しばしば大きな落とし穴があります。
ものの見方が極端にぶれる過程で、本当に大事なものまでも、悪いものとして切り捨てられてしまうことがあるのです。
当たり前のことですが、ホリエモンに関するありとあらゆる事柄を、すべて否定してしまうことがあってはなりません。

「みんなが絵を買えないとしても、プリントのポスターなら誰でも買えるじゃないか!」
これは現代ポップアートの先駆者である、アンディ・ウォーホールが言った言葉です。
ウォーホールは缶入りスープを描いたり、マリリン・モンローなどの有名人を描いたりして、それまで一部の人の趣味でしかなかったアートを大衆のものへと変えたわけですが、大量生産可能で廉価な版画やポスターを出したことも、当時としては画期的なことだったのです。

それまで一部の人しか享受できなかったものの門戸を開放すること。
それ自体は決して悪いことではありません。
多くの人に親しまれることで、ウォーホールのアート自体の価値も高まりました。
株式分割により多くの個人投資家が株に投資することができるようになり、ライブドアの株式時価総額が上がったことも、それ自体は決して悪いことでありません。
ただ、時価総額を釣り上げることが自己目的化して、そのためには不正な手段までも用いなければならなくなってしまったことが問題なわけです。

今回のショックがきっかけで、せっかく増えてきた個人投資家を減らしてしまってはいけないと思います。
株を外国人投資家や機関投資家のような大口投資家だけのものにしてしまっては、健全な株式市場が育たなくなってしまうでしょう。
ホリエモンが社会に提起してきたさまざまな問題は、株式分割以外にもあると思います。
これを機に冷静な判断をしたいものですね。
posted by SNR at 20:43| Comment(10) | TrackBack(4) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月18日

『日本を決定した百年』とその後

昨日に引き続き、ライブドア騒動耐震偽装設計の問題についてです。

この2つの問題は、本当に偶然なのかどうかは定かではありませんが、
たまたま同じ日に大きなニュースとなりました。
だからというわけではありませんが、どちらの問題にも共通する大事な視点があるように思います。

ライブドアは良い意味でも悪い意味でも、新しい問題を提起してきた企業でした。
バブル崩壊以降、低迷してきた日本経済や株式市場を活性化させてきたのは間違いないでしょう。
プロ野球問題にしても、ニッポン放送株問題にしても、なかなか良い問題提起をしていたこともありました。
株式分割にしてもM&Aにしても、それ自体が決して悪いことだとは思いません。
そうした手段を用いて何を目ざしているのかということが問題なのだと思います。
堀江社長は株式時価総額で世界最大の企業を目指すと述べていたと思いますが、
それだけではない大きな目標やビジョンが足りなかったのではないでしょうか。
もちろん営利企業なのだから収益を上げることは大前提ですが、多少偽善くさくても構わないから、単なるお金儲け以上の夢を語ることができれば良かったのだと思います。

一方で、耐震偽装設計のマンションについても同じです。
100平方メートルの物件を4000万台でというのも、それ自体は決して悪いことではないと思います。
でも、家というものは単に安くて広ければ良いというものではありません。
月並みな言い方ですが、そこには人々の生活があるわけですよ
もっと大きな視点から見ても良いでしょう。
つまり、マンションはそれだけで独立して建っているわけでなく、街の景観を構成しているわけです。
自分たちが街づくりの一環を担っているという意識が彼らにあったのでしょうか?

ある意味では、現在の日本は日露戦争後の日本と似ている。
日露戦争の勝利によって、明治の初めに人びとが目ざしたことがいちおう達成された。
現在の日本は、戦争直後に始められた仕事がいちおう成功した状態である。
しかし、日露戦争後の日本は新しい目的を探求する代わりに目的を失い、いつの間にか誤った方向へと迷い込んでしまった。
日本人が現在、日本が背負うべき責任を回避し、そのすぐれた能力に目的を与えないならば、同じような危険が存在する。


これは元首相の吉田茂が、明治維新100年(1967年)を機に書いた『日本を決定した百年』の一節です。
高度経済成長の終わりと、その後の日本について予見したかのような内容ですね。
吉田がこう述べた後、日本はバブルとその崩壊を経験して現在に至るわけです。
この間に日本は果たして、経済成長以上の目的を見つけられたのでしょうか?
これが2つの問題に共通している大事な視点だと思います。

今日はライブドア・ショックで、東京証券取引所の全銘柄が取引停止になる始末です。
吉田は続けて「現在の状況を日本人の精神的混乱とするのは必ずしも正しくない」と述べていますが、今日のような狂乱市場を見ていると心配になってきますね。
ちゃんと本業で頑張っている企業もあっての景気回復なんですから、それを見極める目を持ってほしいものです。
posted by SNR at 22:28| Comment(5) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

命や生活に関する問題を忘れてしまったのですか?

2006年1月17日。
ライブドアのニュースによって後ろに隠れてしまった大事なニュースを、みなさん忘れてしまったのでしょうか?
そうです。
今日は阪神大震災からちょうど11年に当たります。
あの世間を震撼させた宮崎勤事件の最高裁判決が出る日でした。
そして、耐震設計偽装問題の国会証人喚問が行われる日でもありました。

しかし、昨日の夕方からテレビのトップニュースはライブドアです。
ブログの記事などは圧倒的にライブドアです。
確かにライブドア株はストップ安で596円まで下落しました。
売り注文は全然さばけていないようですから、ますます下落することは間違いないでしょう。
昨年の夏の総選挙で、「改革」Tシャツを着ていたのは誰だったのかと言いたくもなります。
今後の株式市場やM&Aのやり方などに大きな影響は与えるでしょう。
それでも、多くの国民にとって本当に大事なことは何なのか?
もう一度、考えてみる必要があると思います。

補佐人との相談35回、証言拒否30回。
今日、国会で行われた証人喚問でヒューザー小嶋社長の証言内容です。
誰がどう見ても時間稼ぎや実態隠しにほかなりませんでした。
ちょっとした事実について聞かれても、本人が最初に行った証言について確認を求められても、「刑事訴追を受ける恐れがあるのでお答えできません」と繰り返すばかりだったのです。

小嶋社長の不実を責めることは簡単です。
でも、その前にもう一度よく考えてみましょうよ。
ここまで小嶋社長の証人喚問を拒み、引き延ばしを続けてきたのは自民党だったわけです。
これでは自民党が実態隠しに加担したと言われても仕方のないことでしょう。

皮肉にも証人喚問は阪神大震災と同じ日となってしまいました。
本来であれば、地震でお亡くなりになった方たちを追悼して、二度と地震で簡単に倒れるような建物を建てないということをあらためて誓う日となるはずでした。
しかし、ライブドア騒動に注目が集まるなか、疑惑がますます深まるだけの証人喚問になってしまったわけです。

今日、宮崎勤被告の上告が最高裁で棄却され、一審・二審の死刑判決が確定しました。
もちろん、大きなニュースです。
もうひとつ、大事なことを忘れていませんか?
昨年末に起きた栃木の小1女児殺害事件は未だに解決していないことを。

宮崎勤の事件は、あまりにも身勝手で残忍な犯行で、世間を文字通り震撼させました。
その後相次いで起こる幼女誘拐殺人事件や劇場型殺人事件野の、まさに原型とでもいうべき事件でした。
宮崎事件の判決は、今後こうした犯罪を抑止していく上でも大変重要なものなのです。
本来であれば、この事件をもう一度振り返り、現在も解決されていない事件と子どもの安全について考えてみる日となるはずでした。
どうして、こういう大事な事件について忘れてしまうのでしょうか?

繰り返しますが、ライブドアへの強制捜索がくだらないと言っているわけではないのです。
ほかにも国民の命や生活がかかっている大事な問題があると言っているのです。
株価やM&Aや経済よりも、もっと身近で大事な問題があるということを。
posted by SNR at 19:55| Comment(15) | TrackBack(19) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月16日

耐震偽装問題で国会に望むこと

明日、17日に証人喚問が開かれてヒューザー小嶋社長への質問が行われます。
19日には、四ヶ所氏などに対する参考人質疑が開かれ、
20日からは通常国会が召集されます。

耐震偽装問題については、これまでも何度も書いていますが、
国会の証人喚問などの最大の目的が、「国民に対する説明責任」の追及であることは言うまでもありません。
「国会証人喚問に茶番劇は必要ないですから!」にも書いたように、国民に対する説明責任は刑事責任や道義的責任と同一のものではありません。
もちろん、偽装を誰が主導したのかを明らかにしていく必要はありますが、
業界全体に蔓延していたと思われる体質を炙り出すことが最終目標であることを忘れてはならないのです。
その際に建設業界にとどまらず、国土交通省や政治家も含めた全体像に迫ることが求められているわけです。
当然、自民党は及び腰なわけですが…。

ともかく、早急に求められているのは国民の安心と信頼を回復することです。
建築基準法を含めて、検査体制の問題点はすべて見直してもらわなければなりません。
これは罰則規定を重くするくらいで済まされる問題ではないわけです。
通常国会でも引き続き建築業界全体にメスを入れ続けていただきたいものです。

さて、こう書いている間にライブドア本社への家宅捜索のニュースが大きく流れています。
東京地検特捜部は今回「風説の流布」の容疑がかかっている買収だけでなく、その他の買収もにらんで捜査を始めているようです。
これまでライブドアが行ってきた、M&Aを繰り返すことによって株価を上げて成長するという手法に、今後どんな影響があるのでしょうか?
注目すべき問題だとは思いますが、これで明日行われる証人喚問のニュース価値が大きく下がってしまったことに危機感を感じます。

国会での議論は、まだまだ始まったばかりです。
おそらくIT企業によるM&Aのターゲットにされたテレビは、ライブドア関連のニュースに多くの時間を割くでしょう。
耐震偽装の問題は、より国民の生活に直結している大きな問題です。
国会もメディアも、そこのところを間違えないようにしていただきたいと思います。

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posted by SNR at 20:46| Comment(7) | TrackBack(6) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

大人は数字が好きで困ります!

ついこの間、省庁の看板をかけかえたと思ったら、
もう、永田町では省庁再々編が噂されているようです。
前回、1府22省庁を1府11省庁に半減したわけですが…。

半減というと、どこかで似たようなフレーズを聞いたことがありますね。
現在31ある特別会計を、半分または3分の1程度に削減という話です。
政府系金融機関についても、民営化や地方移管によってひとつにするとかしないとか…。
一見すると悪くない話のように聞こえますが、問題は数の削減ではないわけですよね。

大人は数字が好きだ。
新しくできた友人のことを話すとき、大人はほんとに大事なことは訊かない。
「どんな声の人?」「一番好きな遊びは何?」「蝶のコレクションをする人」などとは絶対に訊かない。
「その人はいくつ?」「兄弟は何人?」「体重は?」「お父さんの収入は?」などと訊く。
それでどんな人かわかったつもりになる。


再びサン=テグジュペリの『星の王子さま』からです。
本当に大事なことが、行政や予算の効率化であることは言うまでもありません。
しかし政治家の口から出てくるのは、数合わせの話ばかりのような気がします。

最近の選挙ではマニフェストが定着してきたと言われています。
そして、マニフェストは具体的な数値目標や年限を示して提示すべきだとも言われます。
確かに分かりやすさだけでなく、後々、マニフェストの内容が達成されたかどうか検証するためにも、これらの数字は大切なのでしょう。
でも、その数字の奥にあるものをちゃんと見ないと、有権者がきちんと選択したということにはならないのではないでしょうか?

省庁再々編が囁かれる背景には、昨年から世間を騒がせている「通信と放送の融合」があるそうです。
新しい時代に対応するためには、「情報通信省」といった新しい省庁をつくらなければならないと言われています。
確かにそうなのかもしれません。
しかし、何かと縄張り争いの多い霞ヶ関で、どうしたら効率的に行政が機能する体制をつくれるか。
しっかりと問われなければなりません。
特別会計についても、わかりにくい仕組みはすべてやめて、歳入の一元化してムダをなくしてほしいと思っているわけです。

昨日は「大人になるとは」というような話をしましたが、
大人になって失ってはいけないことも、たくさんあるわけです。
数字だけに目を曇らされないように、しっかりと政治を見極める目を持ち続けたいですね。
posted by SNR at 19:24| Comment(23) | TrackBack(7) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

成人式は必要なのでしょうか?

さてさて、2日ほど遅れてしまいましたが、
今年も成人式の季節がやってきましたね。
数年前まで成人式=荒れるというのが典型のような報道をされていましたが、
最近は、行政のお仕着せも少なくなり、以前に比べれば荒れなくなってきたようですね。
まあ、もともと荒れるのは一部の人だったのだと思いますけど。

今年の成人は143万人で、人口比にすると過去最低の数だそうです。
自分の頃を振り返ると、確かにずいぶん減ったんだなという感じがします。
成人式が荒れると注目されるより、はるか昔のことですけどね。

しかし、あらためてこんな問いをするのも変かもしれませんが、
何で成人式なんてものを、みんなで集まってやらないといけないのでしょうか?
しかも、行政単位でやるっていうのはいかがなものでしょう。
みんなで久しぶりに集まりたいなら、同窓会もあるわけですしね。
そもそも、大人になるとはどういうことなのでしょう?

子どものころは、みんな一斉に小学校に入学するなど横並び一線という感じでいきますが、徐々にみんな個性が芽生えてきて大人になっていくわけです。
要するに大人になるということは、それぞれ個性のある人格をもった人間として自立することを意味するわけですよね。
やっと大人になったというのに、どうしてみんな横並びで式をやる必要があるのか、ちょっと理解に苦しんでしまいます。

ちなみに僕は相当なひねくれ者だったので、式に出席せずに大学の友達と遊んでいました。
だからと言って、もちろん僕が立派な成人になっていたというわけではありませんよ。
それどころか、今だって自分がちゃんとした大人なのかどうか不安になるときがあるくらいですけれども。
ただ、自分の考えをもって進んでいこうという気持ちは持っていたように思います。

恐らく成人式で騒いだ人たちも、みんなの注目を浴びたいからとか、みんなで騒ごうということになったからといったような動機で起こしたことなのでしょう。
逆に言えば、みんなが静かにしているから、おとなしく出席したという人もいるはずですよね。
そういう横並びみたいなものはどうなのかなと思ってしまいますね。


実は僕もあまり偉そうなことは言えた立場ではないのですが、
大人になるということは、自分なりの価値基準をもって、自らの責任で行動するということだと思います。
もちろん、大人だって失敗しますし、間違いは犯します。
そんななかでも、自分の弱さや限界を知り、社会のなかでバランスをとって生きていくことができる。
こういう個々人の自覚こそが、もっとも大事なことであるような気がします。

それにしても、本当に成人式って必要なんですかね?
しつこいようですけど…。
posted by SNR at 21:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月10日

三酔人経綸問答に学ぶべきではないか?

ちょっと古い話になりますが、小泉総理の年頭会見での発言、
「精神の自由、心の問題について、政治が関与することを嫌う言論人、知識人が批判することは理解できない。まして外国政府が介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない」というものと、
朝日新聞の社説「私たちこそ理解できぬ」が、ブログでもずいぶんと話題になったようです。

どちらかというと、朝日新聞に対する感情的な反発が多かったようですが、
僕はどちらの立場にも肩入れしてお話をするつもりはありません。
ただ、小泉総理の姿勢を批判したつもりの朝日新聞が、総理と同じように相手を「理解できぬ」と片付けてしまった点には深刻な問題が潜んでいると思います。

戦争の犠牲となって亡くなられた方の御霊に哀悼の誠を表すること。
これを否定する人はほとんどいないと言ってよいでしょう。
ここで、靖国参拝をめぐる議論の多くはA級戦犯合祀の問題や総理は公人か私人かという問題の迷路に迷い込んでしまいます。
確かにこれらの問題は靖国問題を解決する上では避けて通れない問題です。

しかし、日中・日韓両国ともに、ここまで問題を大きくしてしまった背景というものに、そろそろきっちりと目を向ける時期に来ているのではないでしょうか?
小泉総理はよく「心の問題」と言いますが、確かに同じように心理状態を表すものですが、はっきり言って「威信の問題」です。
この問題はよく重要な「外交問題」であるとも言われますが、その根っこは完全に「国内問題」にあるわけです。
つまり、「威信の問題」「国内問題」で中韓両国との外交関係が行き詰ってしまっているということになります。
こうした問題の本質を捉えないで、靖国問題をめぐる言動ばかりを追っていては日中・日韓関係全体を危うくする危険性があるのではないでしょうか?

さて、そこで中江兆民の『三酔人経綸問答』入りましょう。
これは酒好きの南海先生のもとへやってきた洋学紳士と豪傑の客が、大いに酒を飲みながら政治について論争をするという話です。
洋学紳士は民主主義の制度を重視して、外交は話し合いで解決していくべきであると説き、これに対して豪傑の客は、それは強国に都合の良い論理であり、弱小国はときに戦争に訴えてでも利益を掴みとっていかなければならないと主張します。
別に日中・日韓両国が戦争をしようとしているというわけではありませんが、お互いの主張を一方的に繰り返す現状は豪傑の客の立場に近いと言えるでしょう。
これに対して、話し合いで解決していこうという立場は洋学紳士の立場に近いでしょう。

ここでの最大のポイントは、どちらの立場がより正しいかということではありません。
まさに三酔人が大いに議論をしているように、ふたつの立場が冷静かつ論理的に議論をする必要があるということです。
日本国内で議論すらせずに、お互いに「理解できない」ばかりを繰り返してどうなるというのでしょうか?

もうひとつは、「威信の問題」や「国内問題」はできる限り外交上の大きな問題にしない方が良いということです。
「政府の威信をかけた問題は、お互いに妥協することは難しい」
「国内政治上の都合だけで外交政策を動かすのは危うい」
いずれも、これまで人類がいくつもの戦争を乗り越えて学んできたことです。

みなさんは、すいぶんと面白くない結論だと思いますか?
「平時閑話の題目に在りては、或は奇を闘はし、怪を競ふて、一時の笑柄と為すも固より妨無きも、邦家百年の大計を論ずるに至りては、豈専ら奇を標し新を掲げて、以て快を為すことを得んや」
これは南海先生の最後の言葉です。
つまり、国家百年の大計を論ずるようなときには、子どもでも考えつくような常識的で面白みのない考え方をしなくてはならないということです。
というのは、やや冗談が入っていますが、もう少し大局に立って議論を続けていただきたいものです。
以上、年頭会見についてちょっと気になったのですが、みなさんはどう思われますか?
posted by SNR at 22:02| Comment(3) | TrackBack(2) | 外交・国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

すべてが後の祭り…

自民党の総裁選挙は9月の予定ですが、
山崎拓前副総裁まで総裁選出馬に意欲を見せているらしく、
年明け早々から騒々しくなってきました。

そこにもってきて、小泉総理が武部幹事長に対して、
「一般国民も損族したと実感できる仕組み」を総裁選に取り入れるよう要請したとか。
とすると、
「また、劇場型なのか…」

こういう感想を持つ人は多いでしょうね。
もちろん、まだどんな形式の選挙になるのかはわかりません。
ただ、年始早々から「麻垣康三」と騒いでいるマスコミを見ると、いかがなものかなと思ってしまいます。
昨年の選挙の例を見てもわかるように、小泉劇場の最大の立役者はテレビを中心としたマスコミです。
これから6月あたりまで通常国会が開かれますが、総裁候補者の血統証明書(例のお父さんは誰々という話です)、私情や怨念の類、そしてパフォーマンス合戦が、次々と報造られて国会の中身が軽ん造られるかと思うとうんざりしてしまいます。

改革路線対米重視外交の継承がポスト小泉の条件なのではないかと言われています。
改革を行う必要があるのは当たり前です。
アメリカを軽視していこうという人は、まずいないと言って良いでしょう。
でも、この議論ではかんじんなことが何も語られていないわけですよ。
「何のための改革なのか」何のための対米重視なのか」が!
前の記事の繰り返しになりますが、ポスト小泉報道でもまさに「議論の本位を定る事」が決定的に欠けているわけです。

政治のことを「まつりごと」と言いますが、それは神を祀ることが大事な政治活・のひとつであった祭政一致時代の頃の名残と言えるでしょう。
祭りとは厳しい日常のなかで生まれたストレスを発散できる非日常の宴ですが、政治問題の多くは我々の日常生活と密接に関連しているわけです。
現代の政治が「劇場型お祭り政治」では困ってしまいますよ。

日常生活に問題が潜んでいることすら忘れさせてしまうことが、もっとも巧妙な政治権力の行使であると言われています。
みなさん、いつまでもお祭りにうかれて本当の政治を忘れてしまって良いのでしょうか?
劇場に足を賊び観客となって、ただ拍手喝采を送るだけで良いのでしょうか?
2006年を振り返ってみて、すべてが後の祭りとならないようにしたいものですね。
posted by SNR at 20:41| Comment(10) | TrackBack(15) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月03日

2006年元旦:「議論の本位を定る事」

新年、明けましておめでとうございます。

2006年に入って最初のブログであります。
実は年末から風邪をこじらせてしまいまして、強制的に寝正月。
気がついたら年を越してしまっていたという有様なのです。
というわけで、まだいまひとつ新しい年を迎えたという気がしないのですが、
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて年初めといえば、やはり今年1年を占うところから始めないわけにはいきませんね。
景気拡大、人口減少、財政再建、自民党総裁選…。
キーワードはたくさんありますが、3つのキーワードに沿って進めていきたいと思います。

まず何よりも、戦後最長の景気拡大かと噂されているように、
多くの経済アナリストが順調な景気拡大を予想しています。
好調な景気の波に乗って、企業は設備投資や雇用の拡大をはかり、賃金も引き続き上昇、そして個人消費も刺激され…。
と書くと、日本経済は何の心配もないように見えますが、
日本経済さえ良ければ、個人の景気も自動的に良くなるわけではないところが昔と違って難しい点です。

「選挙のない1年だからこそ政治に注目すべし」
やっぱり、最初にくるキーワードはこれでしょう。
景気回復と並んで、昨年を象徴する言葉のひとつが格差社会でした。
義務教育児童の就学援助が4年で4割も増えていることが判明したように、
大企業の好調な業績や株価の上昇からは見えてこない格差が生じてきています。
こうした問題を政治が看過するとすれば、景気回復の先にある日本社会に疑問符をつけざるを得ません。

選挙のない2006年ですが、選挙がないからこそ大事な問題が次々と決められていく1年でもあります。
少なくとも、消費税率のアップなど着実に財政再建に向けた施策は行なわれていきます。
「ある程度の消費税率アップはやむを得ない」という空気は醸成されつつありますが、その前に、「歳出削減を行なう」という大前提があったことを忘れてはなりません。
年末の記事でも書いたように、選挙のない年だからこそ「国民からの注文」を常に出し続けなければならないのです。

「未来に希望が持てる日本型システムを再構築せよ」
昨年までは小泉総理やホリエモンに象徴されるように、日本の古いシステムを壊すことへと関心が向けられる傾向にありました。
しかし、壊すだけでは社会の安定した成長は望めません。
特に、人口減少や安全・信頼の崩壊など、日本がいま抱えている問題点を克服するためには、新たな時代に合わせた仕組みを考えていかなくてはならないでしょう。

その際の最大のポイントは「未来に希望が持てる」という点です。
次の世代を担う若者、さらにその先の世代を担う子どもたち、そして次世代を支える技術。
景気回復により企業に余裕ができてきた今だからこそ、こうした未来に向けた投資を怠ってはならないのです。
社会の安全、教育の充実、そして環境と技術の両立などは、企業の将来にとっても大切な問題です。
こうした問題に向けて官民をあげての投資が行なわれるかどうか注目すべきだと思います。

「外交にはストレートよりカーブが有効」
外交とは本来は攻撃よりも守備が重視されてしかるべきだと思います。
有無を言わさず相手を力で屈服させようというのなら別ですが、外交とは相手あってのものである以上、いかに相手を巧みに動かすかが最大の鍵となります。
しかし現在の政府のアジア外交はどうでしょうか?

日中関係も日韓関係も、お互いにストレートを投げては打ち返すことの繰り返し。
しかも、日本国内でも嫌中感情や嫌韓感情が高まっている現状。
お互いの国民世論が総出でこの泥仕合に参加することになれば、これはかなり危険な兆候と言わざるを得ません。
中国経済の成長とともに、東アジアで話し合うべき問題が増えているのは事実です。
ここら辺でお互いにカーブでも投げて争点をそらすことも、外交に必要とされる知恵のひとつなのではないでしょうか?
相互にナショナリズムを高揚させて良い結果が出た試しはないのですから。

以上、大変に短くて恐縮ですが、今年を展望する上で重要と思われるキーワードを3つ並べてみました。
全体を通してみれば、おそらく日本経済はある程度の好調さを維持していくのでしょう。
しかしそれと同時に、我々が日本社会全体の将来像を決める大きな転換点に差し掛かりつつあるのも事実でしょう。
目先の景気や政治・外交の利益だけにとらわれず、我々が生まれ、学び、育ち、働き、また新たに子どもを育てていく、この日本社会のあり方に目を向けて議論をしていくことこそが、いまもっとも必要とされていることなのでしょう。

「高遠の議論あらざれば後進の輩をして高遠の域に至らしむ可き路なし
とは福沢諭吉の『文明論之概略』の一節です。
何が高遠な意見で、何が近浅な意見であるのが、現在の我々には判断が難しいのでしょう。
そうであればこそ、多様な意見をぶつけ合って議論をしていくことにこそ、
いや、議論をしていくことにしか、日本社会を発展させていく道はないのかもしれません。
「必ずしも他人の説を我範囲の内に籠絡して天下の議論を画一ならしめんと欲する勿れ」
もしかしたら、これこそが最大のキーワードなのかもしれませんね。

というわけで、本年も大いに議論の盛り上がるブログにしていきたいと思いますので、
みなさま、どうかよろしくお願い申し上げます。
posted by SNR at 22:18| Comment(9) | TrackBack(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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