2005年12月12日

「子どもの楽園」と呼ばれた時代は還らぬのか?

年の瀬を迎えて寒さがつのる毎日ですが、子どもが犠牲になる事件が続いています。
広島に続き栃木で女児が殺害され、軟禁や虐待死も明らかになり、さらに京都の学習塾で塾講師が女児を殺害…。
いったい日本はどうなってしまったのでしょうか?

昨日、東京では初雪が観測されたようです。
江戸時代の人たちは季節の変化に敏感で、桜が咲けば花見見物、中秋の名月には月見見物、初雪が降れば雪見見物と、老若男女みんなで連れ立ってずいぶん出かけたようです。
ちなみに、江戸で雪見の名所といえば、何といっても隅田川の堤。
そのほかにも、待乳山聖天、上野不忍池、深川八幡、愛宕山なども人気のスポットだったそうです。

今では愛宕山が山であるなんて認識はないですが、
海抜26mの愛宕山は、今でも山手線内でもっとも標高の高い地点なのです。
当時は江戸一帯を眺めることができたと言います。
子どもの頃、近所に住んでいた僕はたまに両親と登ったりしていました。
さすがに、雪見見物なんて風流なことはしませんでしたけどね。

さて、子どもの話に戻りましょう。
掲題の「子どもの楽園」というのは、幕末に来日した初代英国公使オールコックが、
江戸末期の日本を評して述べた感想です。
その後、明治時代初頭にかけて日本を訪れた多くの外国人が、日本ほど子どもが大切にされていて、笑顔が絶えない国はないというような感想を漏らしました。
これがわずか150年ほど前の日本の姿だったのです。

渡辺京二さんの『逝きし日の面影』では、日本を訪れた外国人がこのような評価を下したことについて、子育てが寛容に行われていたことと社会全体に子どもを愛護して尊重する気風があったことを挙げています。
もちろん、子どもに教育を受けさせる義務であるとか、児童労働の禁止といった、近代的概念に照らして論じるものではありません。
子どもに対する虐待や犯罪がなかったというわけでもありません。

ただ、当時の子どもたちは自分たちの遊びの世界を持ちながら、
同時に温かい大人の視線に見守られて、大人の世界の行事にも参加をしていたのです。

芝居見物に行くときも、祭りに行くときも、親は子どもを必ず伴って出かけました。
前述の花見見物でも、月見見物でも、雪見見物でも、そうだったのでしょう。
親の方も子どもと一緒になって、羽根つきや凧揚げ、独楽や竹馬などを楽しみました。
そうしたなかで、子どもは大人たちに守られていることを暗黙のうちに理解し、大人の社会のしきたりを自然に学んでいったのではないでしょうか?

翻っていまの日本はどうでしょうか?
映画館ひとつをとってみても、日本の施設はまだまだ大人向けにしかつくられていないような気がしてなりません。
大人と子どもがともに楽しむ機会が、どんどんと減っているように思えます。

もうすぐ、クリスマスやお正月がやってきます。
いま目の前にある安全対策も大事ですが、
150年前に外国人が見た日本の原風景が、少しでも戻ることを願ってやみません。
大人や社会が変わらなくては、子どもたちが変わることはできないのですから。
posted by SNR at 20:59| Comment(14) | TrackBack(17) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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