2005年12月29日

SNR通信 その2

みなさん、こんばんは!
久しぶりにやってきました、「SNR通信その2」であります。
今回も各記事のページビュー・ランキングから行ってみましょう!
対象となる記事は、12月9日公開の「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!」から、12月22日公開の「ゆっくりと急ぐということ」までで、前回と同じく公開1週間目までの総計から算出されています。
しかしこうやってみると、なんか僕の書く記事には「ゆっくり」という言葉がずいぶんと多いみたいですね(実際には2件だけですが…)
まあ、余計なことは考えずに行ってみましょう!!!

1位 国会証人喚問に茶番劇は必要ないですから
2位 注文の多い料理店では困るのです!
3位 SNRが斬る今年の重大ニュース!総選挙:どっちの「改革」ショーは自民党の圧倒的勝利に
4位 「子どもの楽園」と呼ばれた時代は還らぬのか?
5位 ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!

というわけで、今回の輝ける(?)第1位は耐震偽装問題で開かれた国会証人喚問の前日に書いた「国会証人喚問に茶番劇は必要ないですから」となりました。
ちなみに、ページビュー数は500でありまして、2位の339に大きく差をつけてのトップでした。

やっぱり、耐震偽装問題への関心は高かったんですね。
しかも、「明日は証人に立つ人たちの発言だけでなく、我々が選んだ国会議員がちゃんと期待に応える仕事をしてくれているかどうかも合わせて見守りましょう」と書いたら、本当に自民党の渡辺議員がバッシングされてしまいましたからね。
渡辺議員には気の毒でしたが、「証人喚問」というキーワード検索でこのブログへいらっしゃった方が多かったのは間違いないです。

2位の「注文の多い料理店では困るのです!」と3位の「SNRが斬る今年の重大ニュース!総選挙:どっちの「改革」ショーは自民党の圧倒的勝利に」は続き物ですが、選挙が終わっても政治への関心はやっぱり高いみたいですね。
ちなみに、3位の記事は公開1週間を過ぎてから大ブレークをしまして、1日に100ページビュー以上を集める人気記事となってしまいました。
ランキング・ルールが公開2週間であれば、圧倒的な1位となったのは間違いないでしょう。
ちょっと残念!

全体を総括しますと、前回に比べてページビュー数が格段に増えました。
前回の1位「『かんじんなことは目に見えない』のです」は179ページビューでしたが、今回は5位の「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!」でも170ページビューにもなりました。
本日、公開43日目にして訪問客数5000人も突破しましたし、つくづくみなさんに支えられたブログだなと思います。

筆者の僕としては若干残念なことも、ひとつだけありました。
12月11日公開の「サン=テグジュペリの優しい目」、僕としてはかなり気合いの入ったお気に入りの記事だったのですが、結果は134ページビューで10位…。
なかなか思うようには行かないものですね。
でも、なかなか面白い記事ですよ、自分で言うのもなんですが…(笑)

最後になりましたが、いくつかお詫びも申し上げておきたいと思います。
まず何よりも、とても重要なニュースでありながら取り上げることができなかったものがたくさんありました。
最近ではJR羽越線の脱線事故などです。
何分にも個人営業なもので、なかなか手が回らないのが現実なのですが、これからもできる限り幅広い問題に切り込んでいきたいなと思っております。

また、どうしても批判的な記事が多くなってしまうことも申し訳なく思っております。
例えば、羽越線の事故では雪が降りしきるなか、今も行方不明者がいるのではないかということで、懸命な捜索活動が続いているようです。
こういう方たちの努力に光を当てるような記事づくりも、少しずつ進めていきたいなと思っております。

さて、いよいよ今年も本当に残りわずかとなってしまいました。
今日あたりから帰省ラッシュも始まったようです。
みなさんお体に気をつけて、良いお年をお迎えくださるようお祈りしております。
と書くと、今年最後の記事のようですが、たぶん明日もアップします。
あくまでも、たぶんなんですけどね…。
以上、SNR通信その2でした!
posted by SNR at 19:39| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

SNRが斬る今年の重大ニュース! イラク問題など:問われているのは日本の民主主義なのではないか?

今年も悲惨なテロが繰り返された1年でした。
ロンドンでの地下鉄同時爆破テロ、バリ島での爆破テロ事件…。
その一方で、イラクの現状については誰も気にとめなくなってしまったようにすら思える日々が続いています。

こうしたなかで、ブッシュ大統領がイラク戦争開戦のときの情報が誤りであったことを認めました。
「今さら何を言っているのか」という意見は当然あるでしょう。
しかし未だに黙して何も語らず、自衛隊派遣の延長を閣議決定してしまった小泉総理と比較する視点を忘れてはいけないのではないでしょうか?

もちろん日本が直接イラク戦争を始めたわけではありません。
自衛隊を派遣したのはあくまでも人道復興支援のためだと政府は言うでしょう。
イラクの治安状況が一向に好転しないことは、日本の責任ではないのかもしれません。
それでもやっぱり、日本はイラクの問題から目をそむけてはいけないと思うのです。

イラクに自衛隊を派遣しているからというからというのは主な理由ではありません。
また、テロとの戦いが人類共通の課題だからというわけでもありません。
イラク問題の背後には日本自身の問題、特に日本の民主主義についての問題が横たわっていると考えるからなのです。

イラク戦争が始まる直前のことを思い出してみましょう。
当時のアメリカで「VJ Day」という言葉があちらこちらに踊っていたのを、みなさんは覚えているでしょうか?
「VJ Day」とは日本でいえば終戦記念日のことです。
乱暴に言ってしまえば「全体主義に勝利して、日本を民主化させることに成功した美しきアメリカの思い出」という意味になります。
この日本に対する成功体験が、「だから我々はフセイン独裁体制を倒して、民主主義の恩恵をイラクにも与えることができる」という議論を正当化する論拠として使われたわけです。

多くの日本人にとっては、戸惑いを覚える話ですね。
当時の日本とイラクを同じ土俵で論じられても困るというのが正直なところでしょう。
しかしだからと言って、日本とイラクは無縁の問題であると言えるのでしょうか?
仮にもかつての日本とイラクが比較の対象に挙がったわけです。
かつては民主化の対象とされた日本が、今度はイラクの民主化を支援するために自衛隊を派遣する立場になったのですから…。

日本の民主主義の成熟度は12歳の少年である!
連合国軍総司令官のマッカーサーは、戦後直後の日本をこう表現しました。
この言葉は「12歳」という部分があまりにも強調されてしまった感があり、この後に続く「日本人は新しいモデルや考え方を受け入れることができる」という部分について触れられることは滅多にありません。
しかしマッカーサー発言でもっとも大事なのは、後段にある日本の柔軟性について述べた部分ではないかと僕は考えます。

民主主義の議論ではよく「多数派の専制」という言葉が使われます。
これは多数派が少数派の意見を抹殺してしまうことを指すもので、民主主義が陥りやすいもっとも危険な罠のことを意味します。
つまり、多様な意見を受け入れることができる寛容さや柔軟性にこそ民主主義の本質があるという警句なわけです。
日本は占領下で制度としての民主主義を導入したことになっていますが、根本的な精神のレベルで言えば本当にそうなのでしょうか?
当然、浮かび上がってくる疑問ですが、話をイラク戦争のときに戻しましょう。

イラク戦争開戦時のアメリカはどうだったのでしょうか?
イラクに自衛隊を派遣したときの日本はどうだったのでしょうか?
イラク戦争開戦の過ちについて語り始めたアメリカはどうなのでしょうか?
イラク自衛隊の派遣延長を決めた日本はどうなのでしょうか?


そこには十分に寛容さや柔軟性があったのでしょうか?
それ以前に、民主主義の基礎である議論がきちんと行なわれたと言えるのでしょうか?
このように考えてみると、成熟した民主主義とは果たしてどういうものなのかということが疑問になってきますね。

テロリズムが暴力による異なる意見の否定であり、民主主義にとって最大の敵であることは間違いありません。
またテロと戦うためには、力に頼らざるを得ない面があるのも事実でしょう。
しかし、それでもやはり我々の社会が民主主義を掲げている以上は、議論をしっかりと行なうことが必要なのではないでしょうか?

我々自身の社会は本当に成熟しているのでしょうか?
ちょっと長くなってしまいましたが、みなさんはどのように考えますか?
posted by SNR at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 外交・国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

SNRが斬る今年の重大ニュース! 相次ぐ詐欺被害:「信」無くして立てるのか?

振り込め詐欺、ワンクリック詐欺、リフォーム詐欺にフィッシング詐欺…。
数え上げればきりがないほど、詐欺被害が後を絶たない1年でしたね。
詐欺という犯罪は大昔からあるのでしょうが、情報化が進み便利な時代になって、ますます増えてきているように感じるのは気のせいなのでしょうか?

一方で、個人情報保護法が施行されました。
悪いニュースばかりが表に出やすいのかもしれませんが、耳にするニュースは奇妙なものばかりです。
企業の顧客データが大量流出したり、事件や事故に際して警察が情報を把握しようとしても病院に断られたり、住民基本台帳の閲覧が簡単にできて犯罪に利用されたりといったニュースです。

新しい仕組みが出来上がって、それがうまく機能するまでには多少の時間がかかるのかもしれませんが、それにしても何となく信頼のできない社会になってきているなという漠然とした不安感は誰もが感じていることでしょう。

フランシス・フクヤマが『「信」無くばたたず』(原題:Trust)を著したのは、ちょうど今から10年前の1995年のことでした。
この本のなかで、日本は米国やドイツなどとともに、信頼度が極めて高い社会であると分類されていました。
フクヤマの議論の中心は、高度な資本主義経済が機能するためには、歴史的に蓄積された社会資本としての「信頼」が必要とされるというものでした。

この本が書かれた社会背景としては、ロシアに市場経済が導入されてもうまく機能しなかったことや、米国経済がなかなか不況から脱せずにいたことなどがあり、学問的背景としては、市場経済の下で人々が合理的に行動すれば経済は活性化すると基本的に考える「新古典派」へのアンチテーゼという側面があったわけですが、それでもこの議論にはある種の説得力があったのは事実です。
契約が簡単に破られる社会で長期的な投資などできないことは、みなさんにも直感的にご理解いただけるでしょう。

このように書いたからといって、社会の信頼度が低いと分類された国、たとえばロシアや中国の人たちが、まったく信頼できないというわけではありません。
彼ら個人が信頼するべきものが何もない暮らしを送っているというわけでもありません。
フクヤマが分析しているように、こうした社会では逆に家族や血縁の間での信頼関係がきわめて強いのだそうです。
ただ、こうした社会では家族や血縁による経営の枠を超えて企業の規模が拡大したり、生産や資本提携の大規模なネットワークが形成されたりするのは、きわめて困難なものとなってしまうのです。
このため、こうした国々で大規模な事業を遂行するためには、国家という権力の介入が必要となってくるのです。

さて、もちろんここでの主題はフクヤマの議論が本当に正しいのかどうかではありません。
「そうは言ったって、中国経済はずっと成長し続けているじゃないか」という意見もあるでしょうし、「日本経済の『失われた10年』はどう説明するんだ」という異論もあるでしょう。
フクヤマの議論も、長い歴史から見れば必ずやってくる好景気や不景気を説明するものではないのでしょうから、その辺は勘弁してください。
あれから10年経って、日本社会の信頼をどう捉えるべきなのか?
これが今回のテーマです。

振り込め詐欺の登場によって、身内や警察からの電話もまずは疑うところからスタートしなければならなくなりました。
フィッシング詐欺のように企業の名を騙るものだけでなく、リフォーム詐欺、保険金の不払いやリコール隠しなども相次ぎ、企業の信頼も揺らいでいるような気がしてなりません。
橋梁談合やマンション偽装など、国と企業が絡んだ問題も胡散臭さを一段と増しているように思えます。
子どもの安全は脅かされ、新たな通信手段であるネットもワンクリック詐欺などが横行、テロの脅威も高まり…。

もちろん、個別に起こっていることを積み上げて全体を判断することは危険です。
まじめに信頼関係を築き上げている人たちも、たくさんいるのは間違いないでしょう。
でも、世の中に「とりあえずは疑うことから始めようよ」という空気が蔓延し始めているとしたら、これはちょっと由々しき事態なのではないかと思ってしまうのです。

ホリエモンによる「おカネさえあれば何でも買える」という言葉が、異常なまでの注目を浴びたのも今年の出来事でした。
個人投資家の増大が株式市場を活発化させて、景気拡大の背中を押していることは間違いないでしょうが、反発であれ共感であれ、ホリエモンの言葉に大きく反応した社会にはちょっと違和感を覚えてしまいます。
まさか某保険会社の「おカネは大事だよ」というコマーシャルの影響ではないでしょうが、お金の損得にはずいぶんと日本人も敏感になったような気がしないでもありません。

みずほ証券の誤発注のときに荒稼ぎをした企業に対して、与謝野経済財政担当大臣が「美しくない」という発言をして話題になりました。
違法な行為で利益を上げたわけではないのですから、与謝野さんの発言には賛否両論あるでしょう。
しかし、我々日本人が当たり前のように享受してきた「社会の信頼関係」というものについて、そろそろ「よく考えてみる」段階に差しかかりつつあるのではないでしょうか?

目に見えにくいだけに、崩れた信頼関係を回復することは大変な作業になります。
みなさんも、人生のうちで一度や二度はそういう経験をしていることだと思います。
そして何よりも、おカネであれ株式であれ、ヤギの視点から見たら単なる紙切れに過ぎないものを価値あるものにしているのは、「信頼」という目に見えない絆なのですから。
手遅れにならないうちに、もう一度「信頼」というものを見つめなおす必要があるのではないでしょうか?
posted by SNR at 15:08| Comment(4) | TrackBack(2) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月24日

いつかのメリークリスマス

みなさん、クリスマスイブ、楽しく過ごしていますか?
いま僕がいるのは、今日から始まった東京ミレナリオ。
この寒さにもかかわらず、丸の内はたくさんの人の熱気に包まれていますよー!
というのは、真っ赤な嘘です。
人ごみの苦手な僕は、クリスマスは断然インドア派なのであります。
今年はとても寒いので、ちょうど良いような気もしますが…。

さて、クリスマスというと、みなさんはどんな想い出があるでしょうか?
小さかったときの楽しい想い出がこころに残っている人もいるでしょう。
あるいは、今年のクリスマスこそ想い出に残るものしたいという人もいるかもしれませんね。

僕のクリスマスの思い出はと言いますと、
これはずいぶん昔、たしか中学の2年生くらいの頃だったと思うのですが、
家で聴いていたFMラジオの番組がどうしても頭から抜けなくて困っているんですよ。

そのとき聴いていたのが何という番組だったのか、まったく記憶にありませんが、
とにかく音楽リクエストを受けつけている番組で、ホイットニー・ヒューストンの「Saving all my love for you」が流れたのです。
それはどこかのOLさんのリクエストで、ラジオ・パーソナリティが曲の終わりに「この曲が私にとってのクリスマスソングで…」みたいなリクエスト葉書の内容を読み上げていたのですが、僕はホイットニーの切ない歌声とサックスの哀愁漂うメロディーにやられてしまっていたのですよ。
そして英語の歌詞の意味なんてろくすっぽわからないまま、素直に「これがクリスマスのロマンチックな歌なんだな」ってことになってしまったのですね。

後になって、「Saving all my love for you」がどんな歌なのかを知りましたが、
もちろん、「あなたはよく一緒に逃げようなんて言ってくれたわね。ふたりの愛があなたのこころを解き放ってくれるのね」(すいません、適当な意訳で)なんていう歌詞にあるように、この歌は不倫の恋を歌ったものなのですね(笑)
でも、そのときにはもう手遅れ。
僕の頭のなかでは、すっかり「Saving all my love for you」がクリスマスソングになっちゃっていたのです。
それ以来、毎年クリスマスが近づくと道ならぬ恋にはまってしまって…。

というのも真っ赤な嘘ですけど、毎年クリスマスがやってくると、ホイットニーのCDを引っ張り出してきて、そのときこの曲をリクエストした名も知らぬ、顔も知らぬOLさんのことを考えてしまうようなったのです。
クリスマスの楽しい思い出はほかにいっぱいあるのですが、若い頃に刻み込まれたイメージって怖いですね。
この先、何十年経っておじいちゃんになっても、同じように僕は「Saving all my love for you」を聴くのでしょうか?
やれやれ、困ったもんだ…。

みなさんは、クリスマスに対してどんなイメージがありますか?
僕みたいに、自分の意図とは関係なく変なイメージがついちゃったなんていう人はいませんか?
ちなみに、「このブログを読んだおかげで、クリスマスがすっかり不倫のイメージになってしまった」なんていう人がいても、残念ながら僕は何もしてあげられません(笑)
そんなイメージを吹き飛ばすような、素敵な想い出ができるようただただ祈るばかりです。
posted by SNR at 17:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

SNRが斬る今年の重大ニュース! ライブドア:ホリエモンは日本人なのか?

2005年ほど株に関心が集まった年はなかったように思います。
ライブドアに始まり、村上ファンド、楽天、ジェイコム株…。
M&Aに始まり、TOBやLBO、あるいはポイズンピルやホワイトナイトと、いろいろな言葉もすっかり有名になりました。
ペイオフ解禁や日経平均の上昇と、株への関心を後押しする条件も整っていましたしね。
「ミニバブル」なんていう言われ方をして眉をひそめる向きもあるようですが、みんなの関心が高まったことは良いことだと思いますよ。
株式は資本主義経済を動かす大事な血流なのですから。

さて、タイトルに「ホリエモンは日本人なのか?」と書いたからといって、別にホリエモンの日本国籍を疑っているわけではありませんよ。
ドラえもんみたいに、ネコ型ロボットだなんて言いたいわけでもありませんよ。
当たり前ですけど…。

ホリエモンはよく「日本型システムへの挑戦者(あるいは反逆児?)」みたいな言われ方をするけど、本当にそうなのだろうか?
というのが、今回のテーマなのです。

メインバンクを中心とした系列企業どうしが築いてきた長期的な資本関係。
終身雇用や年功序列などに支えられた長期的な雇用関係。
行政指導や護送船団方式によって特徴づけられる政府介入。

こういった戦後の高度経済成長を支えてきたシステムはもう古くて時代遅れだと言われるわけです。

いわゆる「日本型システム」というものは、確かに日本が太平洋戦争への道を歩むなかで徐々に形成されていったものです。
軍備増強をするためには重工業化が必要で、重工業を興すためには莫大な初期投資や政府の支援が欠かせなかったわけです。
やがて国家総動員体制が敷かれ、戦争に敗れた占領体制下でも何万人規模の餓死者が出るのではないかという経済状態のなかで、政府による積極的な経済介入が行なわれたわけです。

では、それ以前の日本経済、つまり明治時代の日本経済はどうだったのでしょうか?
当時の日本経済は自由参入、短期的な契約関係、自由な労働力移動を特徴とする、いわゆる「新古典派」に近い経済体制だったわけです。
こんなふうに考えてみると、ホリエモンは明治時代に生まれていれば典型的な日本の実業家であったということになるのですね。

もっと視野を広げて、江戸時代にまで遡ってみるとどうかと言いますと、
まあ、ここら辺はいろいろと意見が分かれるところでしょうけど、長期的な関係と政府介入が特徴であったという意見もあるのですね。

では、典型的な日本型システムとは何なのでしょうか?

一口に「これこそが日本型だ!」と断じることは、ちょっと難しいのではないかなと僕は考えるのですね。
つまり、ホリエモンが典型的な日本人かどうかというのは愚問に近いのではないかと。

「いよいよ日本が人口減少時代に入ったと」いうニュースが話題になっています。
明治時代以来、ずっと人口が増え続けてきた日本社会が初めて人口減少の時代を迎えるのだそうです。
こういう観点から眺めてみると、これからの時代に必要とされている日本のシステムは何なのだろうかと思います。
明治時代のやり方なのか、戦後日本のやり方なのか、それとも江戸時代のやり方なのだろうかと…。
余談ですが、少子化に貢献しているという点では、独身のホリエモンは典型的な現代の日本人ですよね(笑)。
少子化問題に限らず、別の問題から考えてみると、また違う形の日本型システムが姿を現してきそうですね。

僕自身は経済であれ何であれ、社会の仕組みというものは何層にも積みあがった地層のようなものだと考えています。
日本社会という大地の上に豊かな緑を生い茂らせるためには、たとえ古い地層であっても決して無駄にはなっていないと
だから、「これが典型的な日本人だ」とか、「これが典型的な日本システムだ」とか、
そういった表面的に見える形で判断するのではなく、
日本社会という大地全体をいかに活性化させるかという視点で見るべきではないかな。
こんなふうに考えるわけです。

最後にもう一度だけ繰り返しておきますけど、
僕は決してホリエモンの日本国籍を疑っているわけではありませんよ(笑)。
posted by SNR at 22:36| Comment(5) | TrackBack(3) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月22日

ゆっくりと急ぐということ

先週土曜日の朝日新聞土曜版beに、
長野県の上田でブドウ農園とワイナリーを営む玉村豊男さんの特集が載っていました。
ワイン専用のブドウ栽培から醸造までを一気に手がける手づくりワイナリーです。

「海外の高級ワインの知識を得るのもいいけど、ブドウ畑に立って風を感じ、見てさわって、それが数年後ワインになって飲む喜びはまた格別です」
玉村さんの言葉がとても深くこころに残りました。

今年の流行語のひとつに、「LOHAS」という言葉が入賞したように、
環境や健康を大事にしながら生活していくライフスタイルが注目を集めていますね。
「スローライフ」なんていう言葉もよく耳にします。

その一方で、みずほ証券の誤発注問題ではわずか16分という短い時間に20億円もの利益を上げた個人投資家が話題になっています。
JR西日本の尼崎脱線事故では、秒単位の運行が電車の運転手に多大な心労を与えていることが判明しました。
地球温暖化の予想以上の進行が、カトリーナなどによる巨大ハリケーンの被害を引き起こしたのではないかなどとも言われています。
ちょっと世の中急ぎすぎじゃないのかな?
こんなふうに感じるニュースが多かったようにも思いますね。
そんなニュースを時間に追われて伝えているマスコミ自身が、「スローライフ」を提唱していることに疑問を感じなくもありません。

「スローライフ」「LOHAS」などを、もっとも取り上げているニュース番組は「ニュース23」だと思います。
そんなわけで、たまには「今日のニュース23は準備が間に合わないので10分遅れで始まります」なんてことになっても、それはそれで楽しいんじゃないかと無責任な僕は思うのですが…。
などと考えていたら、最近知り合いに聞いた話では筑紫キャスターは本番の直前にスタジオ入りするらしいです。

実はかなり以前に、渋谷の某コーヒー屋さんで平日の夜9時半くらいに、トイレの順番を譲ってもらっている筑紫キャスターを目撃したことがありまして、
僕の友達の間では、「筑紫さんのコメント部分は録画じゃないのか?」とか、「筑紫さんには影武者がいるのでは?」なんていう珍説が飛び交っていたんですね。
その(長年の?)謎が解けたことと、日々のニュースに終われながらも「ゆったり感」漂う筑紫さんのイメージに、ついほのぼのしてしまったなんてこともありました。

さて、今日はだいぶ駄文を書き連ねてしまいましたので本題に戻ります。

みなさんもたぶん同じだと思いますが、現代人である以上は誰しも「ただゆったりと生きていくこと」なんてできないでしょう。
同様に、「何が何でも健康」とか「何が何でもエコ」なんていう生き方も、ちょっとこれは難しいんじゃないかなと僕は思ってしまいます。
それでも、どこか頭の片隅にゆとりというものを少々持って、
「相手が人であれ、モノであれ、時間と手間を惜しみなくかけてあげること」
「一日のうちにほんの少しでも、常に10年・20年後の自分の身の回りを思い描いてみること」
こういう生き方こそが、ささやかな「スローライフ」であり、「LOHAS」なんじゃないかなと思うのであります。
まあ、日々継続的に実践するのはなかなか難しいんですけどね。
posted by SNR at 22:21| Comment(9) | TrackBack(2) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月21日

小泉総理、予算教書演説をしてみてはいかがですか?

来年度予算の財務省原案が閣議に提出されました。
就任時の公約である国債30兆円以下を初めて実現したことが一番の目玉のようですが、
なんかすっきりしないのは僕だけでしょうか?

いろいろと理由はあります。

まず、先の与党税制改革大綱もそうでしたが、
「○○費がいくらアップで××費がいくらダウン」とか書かれても、
一般の人には何が何だかわからないというのが現状ですよね。
よく年収700万円で夫はサラリーマン、妻は専業主婦、子どもは2人のモデルケースというような例が新聞やテレビで出てきますが、あれに当てはまって納得する人はいったい何人いるのでしょうか?
以前「注文の多い料理店では困るのです!」という記事にも書きましたが、
予算や税制の背後にあるビジョンのようなものがまったく見えないのでは、国民を説得するつもりがほとんどないと言われても仕方がないでしょう。

しかも一般会計に加えて特別会計や財政投融資計画もあり、おそろしく複雑にできているのが日本の予算です。
誰も全体図を簡単に描けないようなこの複雑な構造を変えずして、本当に政府が歳出削減に取り組んでいると言えるでしょうか?
あちらこちらにポケットや財布、そしてへそくりが散乱している状態を続けていては、いつどこで無駄遣いが行われるかわかったものじゃないではないですか!

同じように制度改革が必要な点がもうひとつあります。
それは予算の単年度主義と予算を使い切ることが美徳とされる官僚の体質です。
みなさんの一般家庭で、こんなことが通りますか?
「手元にあるお金はとりあえず全部使っちゃえ、来年は来年の風が吹く」で暮らしが成り立っていきますか?

プライマリーバランスの回復を目指すのは結構です。
景気回復で税収がアップしているのも喜ばしいことです。
一般会計の歳出を前年度比3%減らしたのは確かに前進と呼べるでしょう。
でもまだ、国債の返済や償還が18.7兆円に対して、30兆円弱も新規国債を発行しているわけですから、借金の返済以上に借金を繰り返している構造は、まだまだ直っていないんですよ!

小泉総理は自分のことを、昭和恐慌時の総理「浜口雄幸」になぞらえているわけです。
浜口雄幸は第1次大戦後の不況を引きずる日本経済を立て直すために、不採算の企業を市場から一掃して、超緊縮財政を押し進めた人です。
文字通り「痛みを伴う改革」を断行したと言っても良いでしょう。
小泉総理も浜口雄幸にならって「男子の本懐」と胸を張りたいのならば、日本の予算制度そのものを変えるぐらいのことをやらなくてどうするんですか!

というわけで、小泉総理には是非「予算教書演説」とでも題して、しっかりと国民に理念を示してもらいたいと思うわけです。
もちろん、来年になれば通常国会が開かれて予算の審議が行われます。
でもその前に、しっかりと国民のビジョンを示す必要があるのではないでしょうか?
そうでなければ、マスコミが強制捜査の報道にかまけている間にドサクサ紛れでごまかしたと言われても仕方がないのではないですか?
そもそも、国債発行額をもっとも膨らましたのは小泉総理自身なのですから。
posted by SNR at 22:22| Comment(0) | TrackBack(6) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月20日

待ち遠しいもの

もうすぐ、クリスマスがやってきますね。
今年はちょうど土日に当たるので、待ち遠しく思っている人たちもたくさんいることでしょう。
東京は週末も晴れそうですから、イルミネーションもきっときれいでしょうね。(新潟や札幌の方は雪のようですが)
人ごみの苦手な僕は、できる限りひっそりと息をしていたいと思っていますけど…。

クリスマスといえば、イタリアでは定番のクリスマスケーキ「パネットーネ」を伊勢丹が売り出し、なかなか人気だったようです。
パネットーネとはパネットーネ菌という自然性の菌を使ったケーキで、保存料なしで1〜2ヶ月もつのだそうです。
教会の大聖堂を彷彿させる形をしており、12月に入ると少しずつスライスして食べていくんですね。
そうやってゆっくりと、みんなでクリスマスがやってくるのを待つのです。

日本では年末を「年の瀬」と呼びますね。
「瀬」とは川の流れのなかで浅いところや、流れが急な場所を指す言葉です。
それだけ日本の年末が慌しいということなのでしょうが、「パネットーネ」を食べながらクリスマスを待ち遠しく思うイタリア人は、とても贅沢な時間の過ごし方をしているような気がして、ちょっとうらやましくなってしまいますね。

話はがらりと変わり、
いよいよ、米国産牛肉の第一陣が日本に到着したようです。
吉野家の牛丼復活などを待ち遠しく思っていた人もいるでしょうね。
でも、本当にみんなが早急に求めているのは米国産牛肉ではなく、誰もが安心して選択できる流通ルートの確立ですよね。
こちらの方は、気長に待たなければいけないのでしょうか?

姉歯設計事務所をはじめとして、110ヵ所に強制捜査が行われています。
いよいよ刑事責任を追及する捜査が始まるわけです。
でも、多くの国民が待ち望んでいた説明責任は十分に果たされたのでしょうか?
ある自民党議員は参考人招致も証人喚問も十分に行ったと言っていたそうですが、とんでもない話ですよね。
司法の手によって全体の構図がしっかりと解明されて、被害者の方々が望む共同共謀正犯が成立することを待つしかないのでしょうか?

もう一度、話を大きく変えましょう。
女子フィギュアのグランプリファイナルで、15歳の浅田真央選手が優勝しましたね。
トリノ・オリンピックの出場資格がないのは残念だけど、
気の早い人たちは、早くも2010年のバンクーバー・オリンピックでの活躍を待ち遠しく思っているのでしょうか?
あまり大きなプレッシャーをかけることなく、ゆっくり温かく彼女の成長を見守ってあげたいものです。

「全腸管壁内神経細胞未熟症」という重い病気を患っていた神達彩花ちゃんの6臓器移植手術が成功したようですね。
Jリーグ・サポーターたちの温かい募金だけでなく、渡米してすぐにドナーが見つかったことなど、すべてが順調に進む奇跡のようなことらしいですが、
この奇跡を支えてくれる温かい人の愛があふれていたということですよね。
彩花ちゃんが元気に育ってくれて、彼女の成長を見守る温かい人たちが増えていくこと、
そんな2006年こそが、本当に待ち遠しいと思いませんか?
posted by SNR at 19:31| Comment(19) | TrackBack(3) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

SNRが斬る今年の重大ニュース! 反日デモ:「爾後北京政府ヲ対手トセズ」なのか?

戦後60年の節目を迎えた2005年。
日本のアジア外交の行き詰まりが、あちらこちらで指摘されましたね。
なかでも驚かされたのが、中国各地で行われた反日デモ。
小泉総理の靖国参拝がアジア諸国の反発を招いていることは知っていましたが、
さすがにあのデモの映像を見たときには、みんなちょっと驚きましたよね?

「小泉政権はアジア外交不在」とか
「日中間のコミュニケーションが欠如している」という小泉外交批判よく耳にします。
でも、これってちょっと間違っていませんか?
たとえ首脳どうしの会談がなくても、小泉総理が靖国神社に参拝したり、中国で反日デモが起きたりすると、それだけでもう日中間のコミュニケーションは行われてしまっているのですから…。

我々も日常生活でよく無言のメッセージを相手に送りますね。
例えば恋人とケンカしたときにわざと音信不通にするとか、休日に敢えて予定を入れちゃうとか、小さな話ばかりですが…。
国家と国家の関係でも、しばしば言葉による直接的コミュニケーションよりも、お互いの行動の方が何百倍も雄弁にメッセージを伝えることがあります。
それだけ外交で使われる言葉が美辞麗句と虚言に満ちているのと同時に、国家が疑心暗鬼に満ちた眼でお互いの行動を眺めていることの証拠でもあるわけですが。

もちろん、こういう無言のコミュニケーションばかりを続けるのは危険です。
最悪の場合はキューバ危機のときのように、核戦争の瀬戸際までエスカレートすることになります。
そこら辺のところを、どこまで分かってやっているのか?
靖国参拝の是非は置いておいたとしても、小泉総理の外交姿勢はちょっと心配になってしまいますよね。

1938年の1月16日、当時の総理大臣近衛文麿は、「爾後国民政府ヲ対手トセズ」(もう蒋介石の国民党政府とは一切交渉しませんという意味)という第1次近衛声明を出して、日中戦争の和平を成立させる機会を逸しました。
そのまま、ずるずると泥沼の戦争にはまっていったわけです。
同じように、「爾後北京政府ヲ対手トセズ」、
「爾後東京政府ヲ対手トセズ」とお互いに応酬するようなことになってしまったら、
誰がその幕引きをするというのですか!

今すぐ中国と戦争だなどと危機を煽るつもりはありませんし、中国に対して卑屈になれと言っているわけではないです。

ただ、あの反日デモは膠着する日中関係を改善する良い機会だったのではないでしょうか?
デモが暴徒化することで、他ならぬ中国政府自体が国際社会で苦しい立場に置かれてしまったのですから。
どの社会の人間関係も同じですが、外交とはつねにあらゆる選択肢をカードとして持っておくことが大切です。
それを自ら閉じてしまえば、自分自身の手足を縛るのと同じことになってしまうのです。

11月のAPECと12月の東アジアサミット。
この2ヶ月は外交の季節と言われていました。
しかし、小泉総理が温家宝首相からペンを借りるというパフォーマンス以外に、目立った進展は見られなかったようです。

カール・フォン・クラウゼビッツの『戦争論』のなかに、
「戦争とは異なる手段をもってする外交の延長である」という言葉があります。
戦争の前には必ず長い外交のプロセスというものがあるわけです。
戦争の反省を口にするのは簡単です。
小泉総理も「二度と戦争は繰り返さない」と何度も繰り返しています。

でもいちばん肝心なところは、戦争を引き起こした外交プロセスにあるわけですから!
そして、相手と交渉しないこと自体もひとつの外交プロセスになってしまうのですから。
もう一度、戦争へと至った外交の歴史をしっかり勉強していただきたいものです。
みなさんは、どう思いますか?
posted by SNR at 18:01| Comment(4) | TrackBack(2) | 外交・国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月18日

SNRが斬る今年の重大ニュース! JR西日本尼崎脱線事故:消費者の選択とは何か?

「もし、自分が毎日利用している電車があんな事故を起こしたら…」
JR西日本が起こした尼崎脱線事故のニュースを見て、誰もが感じたことでしょう。
これまで他の交通手段よりも、安くて安全だと思われてきた電車です。
毎日の通勤・通学に欠かせない電車で、もっとも損なわれてはいけない部分が損なわれてしまったのです。
そして何よりも困ったことに、損なわれた安全が回復されたのかどうか、我々には確かめる術がほとんどないのです。

今年は色々な意味で企業のあり方が問われた1年でした。
ライブドアによるニッポン放送株取得問題では、「会社は誰のものか?」という言葉が繰り返し叫ばれていました。
もの言う株主、企業価値、敵対的買収防衛策…。
株主に正当な権利が付与されるべきでしょうし、経営者や従業員が安心して企業活動に勤しむことも大事でしょう。
企業に利害関係を持つ人たちをステークホルダーと呼びますが、
いつも後回しにされて忘れられがちなのが、消費者である我々だということがあらためて浮き彫りにされた1年だったとも言えるのではないでしょうか?

よく、「消費者の自己責任による選択」とも言われます。
加工品のトレーサビリティに問題があるものの、米国産牛肉についてはこういう議論も成り立つかもしれません。
しかし、電車という交通手段は一般の人にとって選択の余地のないものなのですよ!
そう簡単に引っ越すわけにはいかないし、在来平行線なんて滅多に存在しないし、ましてや車で通勤なんて誰もができるわけではないのですから…。

「企業の社会的責任」(CSR)という言葉もよく耳にするようになりました。
事故や不祥事が起こるたびに繰り返されたこの言葉ほど、虚しく響いたものはなかったように思います。
環境問題への取り組みや文化活動への貢献などは目に見えやすいですが、
安全と安心を守ることのように、目に見えにくいけど不断の努力を要するものは、損なわれて初めて意識されるものですから…。
企業が社会的責任を果たさなければ売り上げが落ちると言われますが、消費者側にほとんど選択権がないもの、検証手段がないものもたくさんあるのです。
マンション問題も同じことですよ。

こんな時代にいったい誰が消費者の権利を保護してくれるのでしょうか?
自民党の新憲法草案は愛国心を責務として規定しようとしていますが、
消費者を保護する文字はどこにも見えません。

「サイレント・マジョリティ」とよく言われます。
ひとりひとりの消費者の声はとても弱いものですから、
今回の事故報道もちゃんと消費者の立場から検証されるべきではなかったのでしょうか?
どうしたら消費者を守ることができるのかを…。
企業のニュースが多かった裏側には、いつも必ず「もの言えぬ注目されぬ消費者」が存在しているのですから。
たとえ事故などが起きなくても、いつも確かに存在しているのですから…。

当のJR西日本がATSの設置ミスを犯していることが11月に判明しましたが、
マスコミではほとんど取り上げられることがありませんでした。
今日も何事もなかったかのように電車は動いていました。
名前も知らない、ニュースで取り上げられることもない消費者たちをたくさん乗せて…。
posted by SNR at 21:15| Comment(4) | TrackBack(3) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月16日

注文の多い料理店では困るのです!

先日、「SNRが斬る今年の重大ニュース!総選挙:どっちの『改革』ショーは自民党の圧倒的勝利に」という記事のなかで、僕は総選挙を「どっちの料理ショー」にたとえてみました。
そして、選挙後の自民党がどんな料理をどんな料理店で出してくれるのかに注目したいと述べました。
世間の関心が耐震設計偽装問題に向いている間に、店の奥にある厨房で何が行われているかをちゃんと見ましょうと…。

早速、出てきましたね。
政府与党が来年度の税制改革大綱を決定しました。
日本がこれだけの借金を抱えているわけですから、ある程度の増税は致し方ないとは思っていますよ。
でも、それはあくまでも歳出削減や国民への説明があっての話ではないですか!

それにしても、日本の税制にはどんな思想とか哲学のようなものがあるのでしょう?
第3のビールやたばこへの増税、あるいは定率減税の廃止が問題になっていますが、
多くの国民に納得してもらうためには、やっぱり筋の通った考え方が必要じゃないですか。
唯一ある思想といえば、「とりやすいところからとること」
これだけしかないような気がしてならないのです。

そもそも嗜好品のなかでも、酒とたばこだけになぜ税金がかかるのか?
子育て支援への出費と言うならば、誰のどのような給付と負担のバランスで運営しようとしているのか?
将来の消費税アップでも、道路特定財源の一般財源化でも良いですよ。
どういう社会像と、どういう思想をもって、国の歳出と国民の負担を考えているのか、まったく見えてこないと思うのは僕だけでしょうか?

税金の問題だけではありません。
米国産牛肉の輸入解禁、自衛隊イラク派遣の延長、そして自民党憲法草案の「国を愛する義務」等々…。
選挙で大勝した自民党が厨房の奥でやっていることはどうでしょう?

確かに国民は総選挙で自民党料理店に注文をしましたよ。
でも、これでは注文を出しているのは自民党の方じゃないですか!
今回の増税も、まずは高い料金を前払いでもさせようという算段なのでしょうか?
最後は我々が食べられてしまうなんてことにはならないのでしょうか?

「国民からの注文の多い料理店」なら結構です。
でも、不況という山の中をさまよい歩いた末に飛び込んだレストランが、
「国民への注文の多い料理店」では困るのです!

自民党が「山猫軒」にならないように監視すること、
そして、逆に自民党に次々と注文をぶつけること。
我々はこのことを忘れてはならないのではないでしょうか?
posted by SNR at 19:20| Comment(30) | TrackBack(18) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月15日

SNR通信 その1

みなさん、こんばんは!
今日はいつもと趣向を変えて進めていきたいと思います。

まずは、after 911で、どんな記事の人気が高かったのか、
ページビュー・ベースでランキングしてみましょう!!!
ちなみに、公平を期すために各記事の更新日から7日間の累積ページビュー数でカウントしています。
期間は11月20日にアップした「プロフェッショナリズムはどこへ消えたのか?」から、ちょうど1週間前の「SNRよりお知らせ」までです。
7日間のデータが揃わなければいけないので、どうしてもこうなってしまいます。
すいません。

では、気になる結果はというと、

1位 「かんじんなことは目に見えない」のです
2位 富裕層はホントに浮遊層?
3位 そこには人が生活しているんですよ!!
4位 牛肉だけでなく、ついにマンションまで全棟検査か?
5位 ネット選挙について少々:政治の中身はますます軽くなるのか?


となりました。
いやあ、「星の王子様」は人気ですね。
みなさんから、温かいコメントもいただきましたしね。
ページビュー179で、2位の133を大きく引き離しての1位でした。
サン=テグジュペリ、おめでとう!

3位と4位は、いまだにおさまることのない偽装マンション問題でした。
マンション問題は何本も記事を書きましたが、やはりみなさんの関心は高いようですね。
しかし、これらを押さえて2位に入った「富裕層はホントに浮遊層?」。
ちょっとしゃれた文を書いてやろうと思って、何となく書いたものだったのですが、
みなさん、こういうのがお好きなのでしょうか?
これからのブログづくりの参考にさせていただきたいと思います。

そういえば、もうひとつ。
この前、どうにもヒマで仕方がないときがありまして、(こんなに毎日ブログを書いているんだから、それはヒマだろう!)リファラ元をたどってみたところ、
Yahooの検索サイトから、「そろそろ」というキーワードでいらした方がいました。
もちろん、「そろそろ『劇場型』はやめにしませんか?」という記事が当たったわけです。
検索された方は、どんな気持ちで検索されたのでしょうか?

「そろそろ、眠くなってきたな」と思ったのかもしれませんし、
「そろそろ、動物園のトラに餌をあげる時間だぞ」と思った飼育係の人かもしれません。
あるいは、「そろそろ、恋人と別れるかな」と思ったのかもしれませんし、
とにかく、僕は大変気になって夜も眠れない始末です(もちろん、冗談です)。
是非、我こそは「そろそろ」というキーワードでこのブログへやってきたという方がいらっしゃいましたら、一言書き込みをしていただけると助かります。

いやあ、しかし色々な方がいますね。
以上、SNR通信でした。
この企画、これからもちょくちょくやっていきたいと思います。
では。
posted by SNR at 22:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月14日

SNRが斬る今年の重大ニュース! 総選挙:どっちの「改革」ショーは自民党の圧倒的勝利に

「小泉総理の言語能力は犬猫なみ」
総理お得意のワンフレーズ・ポリティクスを、井上ひさしさんと丸谷才一さんの対談では、こう評価していました。
総理のコミュニケーションがいかに映像を伴ってこそ意味があるかということが、
国会の党首討論をラジオで聴くと、よくわかるのだそうです。
そんなものかな…。

と思っていた、あの運命の8月8日。
僕はたまたま乗ったタクシーのなかで、あの小泉総理の「ガリレオ演説」のラジオ放送で耳にすることになりました。
ここから、あの長い選挙戦がスタートすることになったわけです。

今回の選挙は一言で言えば、「テレビ選挙」だったと思います。
確かに以前から、政治は「テレビ時代に入った」と言われてきました。
小泉総理はテレビの使い方が上手だとも言われてきました。
それでも、テレビがここまでのインパクトを持ったのは初めてでしょう。
そういう意味で「テレビ選挙」、しかも「ワイドショー選挙」だったことは間違いないでしょう。
「犬猫なみの言語能力」かどうかは分かりませんが、とにかくパフォーマンス力がものを言う選挙だったのではないでしょうか?

さて、問題は一口に「テレビ選挙」と言っても、
その実態や本質は何だったのかというのが、今回のテーマですね。

今回の選挙は「どっちの『改革』ショー」だった!

巷ではいろいろな分析が行われていますが、僕がこの選挙を一言で言い表すとするならば、これに尽きるのです。

日本テレビ系列で放送されている「どっちの料理ショー」という番組があるのは、みなさんご存知でしょう。
関口さんと三宅さんが、二手に分かれて料理のプレゼンテーションをして、
最後にゲストのタレントたちが、どっちの料理を食べたいか札をあげて決めるというものです。

「刺客騒動」などとメディアでは言われてきました。
確かに小泉自民党と郵政反対派議員の間の「斬った張った」は、さまざまなドラマを生みエキサイティングであったことは間違いありません。
でも、その刺激だけで有権者が投票したと考えるのはいかがなものかと思います。
有権者だってK1やプライドを(あるいは、ハッスル?)を見ているわけではないのですから、いわゆる「刺客騒動」が何を意味しているのかを考えて投票すると思いませんか?

このように考えてみると、一応今回の選挙はまがりなりにも自民党と民主党の間の「改革競争」だったわけです。
僕が言っている改革というのは、郵政民営化のことではありませんよ。
あくまでも、有権者の目に当時何が見えていたのかという視点からお話をしているのです。
つまり、あの「刺客騒動」も党内の抵抗勢力を一掃するという意味では、「自民党内改革」だったと思うのです。

一方で、民主党はというと…。
みなさんもご存知のとおり、マニフェストを中心に年金問題や子育てなどの改革案を、
気の毒になるくらい一生懸命アピールをしていました。

さて、実際に札をあげる役の有権者はどっちに軍配を上げたのでしょうか?
もちろん、自民党でしたが、理由は簡単です。
自民党チームが屋台の焼きソバをじゃんじゃん焼いたのに対して、民主党チームは高級懐石料理のお品書きを有権者に見せるだけにとどまってしまったのではないでしょうか?

つまり、自民党内の改革は民主党が批判したとおり、決して改革の本丸などと呼べるものではありませんでした。
言うなれば、屋台の焼きソバのようなものだったのです!!!
これに対して、民主党は有権者にとって大事な問題で改革案を訴えていました。
これはもしかしたら、高級懐石料理だったのかもしれません!!!
でも、残念ながらお品書きを見せるだけで、実際に目の前で調理することがまったくできなかったのです…。

僕は別に自民党が悪かったと言っているわけではないんです。
誰だってちゃんと料理が出てくるかわからないお品書きを見せられるよりは、とりあえずでも目の前の鉄板でソースの焦げる香ばしいニオイや熱々の湯気をたてられた方が食欲はそそります。
でも、これでひとつ分かったことがあるような気がしませんか?
それは、有権者がいかに「改革に飢えているか」ということです。
この飢餓感が投票率のアップにつながり、自民党への得票へと結びついたのではないでしょうか?

となると、当然ながら選挙後の自民党が問題となってくるのです。
有権者の多くはとりあえずの焼きソバで、小腹を満たしたにすぎないわけです。
歳出削減に医療制度改革、三位一体の改革に少子化対策…
みなさんもご存知のように、改革の本丸は「目に見える」抵抗勢力ではなく、「目に見えない」官僚のところにあるわけですから。
次の現場は屋台ではなく、お店の奥にある厨房なのです。

こうしている間にも、来年度の予算が組まれていっています。
つまり、厨房では何がしかの料理が行われているわけです。
今度はたこ焼きやお好み焼きのようなものでは許されません。
果たして出てくる料理が、有権者の注文どおりのものなのかどうか、みんなで見守ろうではありませんか。

僕は今回の選挙をこんなふうに捉えていますが、みなさんはいかがですか?
posted by SNR at 22:24| Comment(9) | TrackBack(5) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

国会証人喚問に茶番劇は必要ないですから!

いよいよ明日、国会でマンション問題の証人喚問が行われます。
姉歯元建築士、木村建設の木村社長と篠塚支店長、総研の内河所長。
今回、国会に呼ばれるのはこの4人です。
正当な理由なく欠席できず、そこでの証言が偽証罪に問われる点で、先週までの参考人招致とは異なります。
もちろん、証人喚問をやるべきだと思いますよ。
ただし、それは事実解明に向けて一定の前進があるという前提での話です。
しかも、日本全国に蔓延している不安解消に向けた事実解明こそがもっとも大切なのです

以前のブログにも書きましたが、
一連の参考人招致や証人喚問では、自民党が本当に国民の生活を守る改革政党になったかどうかが問われているのです。
今年の総選挙で自民党は改革政党に生まれ変わったと胸を張りました。
つまり、今までの政官財の癒着にまみれた抵抗勢力とは手を切ったというわけです。
本当にそうなのでしょうか?
今回のことでも、政治献金の話や複数の政治家の話が取り沙汰されています。
証人喚問のやり方をめぐっても、自民党には消極的な姿勢が目立っています。

そもそも国会議員が証人喚問を行うことができるのは、彼らが「国政調査権」というものを持っているからです。
これは国民の代理として議員が調査を行うということを意味します。
そうです!
以前にも「牛肉だけでなく、ついにマンションまで全棟検査か?」という記事で書いたように、これはまさに代理委任関係なんですよ。
だから、国会議員がちゃんと国民の代理となって仕事をしているか、僕たちはちゃんと監視をする必要があるのです。

またもや病気などを理由に欠席というのが、明日予想される最悪の展開でしょうか?(医師の診断書など正当な理由があれば許されるのです)

あるいは、姉歯氏、木村・篠塚氏、内河氏が、それぞれに整合性のない話をして何となく煙に巻かれてしまうこともあり得そうですね。

もっともあり得そうなことは、質問が細部に入りすぎて全体像がさっぱり解明されないことでしょうか?

確かに個々の責任を追及することも大事ですよ。
でも、国会は刑事責任を追及する場ではないのです!
なぜ国会で追及が行われるかといえば、この問題が一部のマンション住民やホテル経営者の問題でなく、国民全体の問題だからなのです。
いま日本中で起こっている不安解消に役立てるために、全体像が明らかとなるような質問をしなければいけないと思うのです。
国会議員が悪を懲らしめる正義の味方ぶったパフォーマンスをする場ではないのです!

さて、本日は今までのまとめみたいな内容になってしまいましたが、
明日は証人に立つ人たちの発言だけでなく、我々が選んだ国会議員がちゃんと期待に応える仕事をしてくれているかどうかも合わせて見守りましょう。
証人喚問を見てのみなさんの感想、お待ちしております。

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posted by SNR at 20:30| Comment(12) | TrackBack(14) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月12日

「子どもの楽園」と呼ばれた時代は還らぬのか?

年の瀬を迎えて寒さがつのる毎日ですが、子どもが犠牲になる事件が続いています。
広島に続き栃木で女児が殺害され、軟禁や虐待死も明らかになり、さらに京都の学習塾で塾講師が女児を殺害…。
いったい日本はどうなってしまったのでしょうか?

昨日、東京では初雪が観測されたようです。
江戸時代の人たちは季節の変化に敏感で、桜が咲けば花見見物、中秋の名月には月見見物、初雪が降れば雪見見物と、老若男女みんなで連れ立ってずいぶん出かけたようです。
ちなみに、江戸で雪見の名所といえば、何といっても隅田川の堤。
そのほかにも、待乳山聖天、上野不忍池、深川八幡、愛宕山なども人気のスポットだったそうです。

今では愛宕山が山であるなんて認識はないですが、
海抜26mの愛宕山は、今でも山手線内でもっとも標高の高い地点なのです。
当時は江戸一帯を眺めることができたと言います。
子どもの頃、近所に住んでいた僕はたまに両親と登ったりしていました。
さすがに、雪見見物なんて風流なことはしませんでしたけどね。

さて、子どもの話に戻りましょう。
掲題の「子どもの楽園」というのは、幕末に来日した初代英国公使オールコックが、
江戸末期の日本を評して述べた感想です。
その後、明治時代初頭にかけて日本を訪れた多くの外国人が、日本ほど子どもが大切にされていて、笑顔が絶えない国はないというような感想を漏らしました。
これがわずか150年ほど前の日本の姿だったのです。

渡辺京二さんの『逝きし日の面影』では、日本を訪れた外国人がこのような評価を下したことについて、子育てが寛容に行われていたことと社会全体に子どもを愛護して尊重する気風があったことを挙げています。
もちろん、子どもに教育を受けさせる義務であるとか、児童労働の禁止といった、近代的概念に照らして論じるものではありません。
子どもに対する虐待や犯罪がなかったというわけでもありません。

ただ、当時の子どもたちは自分たちの遊びの世界を持ちながら、
同時に温かい大人の視線に見守られて、大人の世界の行事にも参加をしていたのです。

芝居見物に行くときも、祭りに行くときも、親は子どもを必ず伴って出かけました。
前述の花見見物でも、月見見物でも、雪見見物でも、そうだったのでしょう。
親の方も子どもと一緒になって、羽根つきや凧揚げ、独楽や竹馬などを楽しみました。
そうしたなかで、子どもは大人たちに守られていることを暗黙のうちに理解し、大人の社会のしきたりを自然に学んでいったのではないでしょうか?

翻っていまの日本はどうでしょうか?
映画館ひとつをとってみても、日本の施設はまだまだ大人向けにしかつくられていないような気がしてなりません。
大人と子どもがともに楽しむ機会が、どんどんと減っているように思えます。

もうすぐ、クリスマスやお正月がやってきます。
いま目の前にある安全対策も大事ですが、
150年前に外国人が見た日本の原風景が、少しでも戻ることを願ってやみません。
大人や社会が変わらなくては、子どもたちが変わることはできないのですから。
posted by SNR at 20:59| Comment(14) | TrackBack(17) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

サン=テグジュペリの優しい目

大地はわれわれ人間について、万巻の書物より多くのことを教えてくれる。
大地はわれわれに抵抗するからである。
障害と力くらべをするとき、人間はおのれを発見する。


再び、サン=テグジュペリで恐縮ですが、『人間の大地』の冒頭の一節です。

JR西日本福知山線の脱線事故、次々と起こる航空機のトラブル、
姉歯元建築士による構造計算書偽装、みずほ証券による発注入力ミス…。
矢継ぎ早に新しい技術が生み出され、複雑化し、スピードアップし、コンピューター管理されていく我々の社会で起こっている現実の出来事ばかりです。
こうした事件を目にするたびに、何かとんでもない感覚麻痺のようなものが起こっているような気がしてならないのです。
安全や安心をもっとも重視しなければならない人たちの感覚は、いったいどうなってしまったのでしょうか?

『夜間飛行』や『戦う操縦士』などをお読みになった方はご存知でしょうが、
サン=テグジュペリという人は、郵便配達などで商業飛行の草創期を支えたパイロットでもありました。

何年か前のことになりますが、宮崎駿さんがサン=テグジュペリが飛んだ飛行ルートを、実際に当時の飛行機に近いものを使って飛んでみるという特集番組がNHKで放送されました。
飛行機の胴体に開けた穴から地上の様子をカメラで撮影するのです。
地上を走る鉄道をゆっくりと追い越し、港町のにぎわいを上空から眺めながら、
ジブラルタル海峡を渡ると、アフリカの広大な大地が荒々しく広がっていきます。
こうした光景を見たとき、僕は「ああ、こういうことなのか」と大いに得心したのを昨日のことのように覚えています。

宮崎アニメの『天空の城ラピュタ』、『魔女の宅急便』、『紅の豚』などでたびたび現れる飛行シーンに、どちらかと言えば高所恐怖症の自分がなぜこんなにも魅力を感じるのだろうか?
それまで漠然と感じていた疑問が、まさに雲間から大空へ飛び出したかのように、はっきりと理解できたのです。
それと同時に、サン=テグジュペリがどんな目で世界を眺めていたのかも、よく理解できたような気がしたのです。

当時、飛行機といえば科学の最先端を走る技術の粋を集めたものでした。
しかし、その最高峰の技術を操るパイロットは、しっかりと人間が生活する大地を見つめていたのです。
『人間の大地』のなかで、僚友ギヨメは「グワディスの近くの草原の端にある三本のオレンジの木」が飛行の目印になると語ります。
まさに地上で生きる人々が目印にするのと同じものを、しっかりと見つめながら飛行していた証左と言っても良いでしょう。
自由に空を飛びまわりながらも、同時にしっかりと人間が暮らす大地に根づいていたと言って過言でないかもしれませんね。

それだけではありません。
当時のパイロットたちは、荒々しい自然の厳しさともしっかりと向き合っていました。
サン=テグジュペリの作品のなかにも何度も紹介されているように、
当時の飛行はまさに自然の猛威と闘いであり、何人ものパイロットが帰らぬ人となりました。

サン=テグジュペリ自身も、アフリカの砂漠に不時着して生死の境をさまよいます。
ときに人間に対して恐ろしい牙を向ける自然としっかりと向き合っていたわけです。
『星の王子さま』のような真に優しい物語を紡ぐ目は、荒々しい自然と戦う厳しい目から生み出されていたのです。

再び我々が暮らしている現代へと話を戻しましょう。
サン=テグジュペリの時代に比べて、我々の生活ははるかに便利なものとなりました。
しかし、そうした生活を支える人たちの目はどうなのでしょうか?
彼らの目から「人々の生活を見つめる優しさ」と「自然に向き合う厳しさ」は失われてしまったのでしょうか?

構造計算書偽装の報道などを見ていると、
そこに人々が生活していることや地震の恐ろしさなどを忘れてしまったとしか思えません。
誰もが阪神大震災やスマトラ沖地震などの映像を目にしたはずなのですが…。
コンピューター画面やテレビの画面を通して、安易にモノを見ることに慣れてしまった我々は、
もう一度、「サン=テグジュペリの優しい目」を取り戻して自分たちの社会を見つめなおす必要があるのかもしれませんね。
posted by SNR at 21:33| Comment(9) | TrackBack(5) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月10日

サッカー大国の興亡 ドイツワールドカップとその先にあるもの

来年ドイツで開催されるサッカー・ワールドカップの組み合わせ抽選が行われましたね。
日本はグループFに入り、オーストラリア、クロアチア、ブラジルの順に対戦して、グループリーグ突破をかけた戦いをすることになりました。
対戦相手も決まり、いよいよ本番に向けて血が騒いできている人も多いのではないでしょうか?

世界レベルのサッカー大会といえばもうひとつ。
クラブチーム世界一を決める「クラブワールドチャンピオンシップ・トヨタカップ」が明日から日本で開催されます。

日本人は幸せものですよ!!!
2002年の「ワールドカップ」今年の「トヨタカップ」と、
わずか3年くらいのうちに、世界レベルの大会を2度も開催できるのですから!

サッカーはあまり詳しくないという方のために、トヨタカップを簡単に説明しておきます。
昨年まで、欧州チャンピオンのチーム(欧州チャンピオンズリーグ優勝チーム)と南米チャンピオンのチーム(リベルタドーレス杯優勝チーム)が日本で1試合戦うだけのものだったのですが、
今年から各大陸のナンバー1クラブが集まって、文字通り世界一を決める大会になったのです。

今年は残念ながら、Jリーグのチームはアジアチャンピオンになれませんでした。
でもこれからJリーグのチームが世界一になるなんてこともあり得るのです!
来年は先日Jリーグチャンピオンになった「ガンバ大阪」と、いま開催されている天皇杯チャンピオンチームが、出場権をかけてアジアチャンピオンズリーグを戦うことになります。
楽しみですねぇ。

話を元に戻しましょう。
来年のワールドカップですが、日本はどのくらいまで勝ち進むのでしょうか?
敢えて予想はしませんが、アジアの新興国家に過ぎない日本の真の実力が試される厳しい戦いになることは間違いないでしょう。

ワールドカップ出場も3回目だし、2大会連続アジアチャンピオンにもなっており、日本人選手も海外で活躍しているのになぜ?
こう感じる人も多いかもしれませんね。

では、日本には何が欠けているのでしょうか?

とても曖昧な言葉ですが、「サッカー文化」というものが、まだまだ日本には足りないような気がします。
確かに能力の高い選手が集まり、戦術を整えたチームづくりをすることも大切ですよ。
でもそれだけではない何かが、
強豪国といわれる国の代表を支えているような気がするのです。
国民がサッカーを支える、「文化」としか呼びようのない空気というか土壌みたいなものが。

ずいぶん昔になりますが、ポール・ケネディの『大国の興亡』という本がヒットしました。
近代以降、大国が世界で覇を競ってきた歴史を綴った本ですが、
「対外的に拡張しすぎた国は、やがて自らを支えることができなくなり滅びる」
というのが、もっとも大きな議論の柱でした。

サッカーでも同じようなことが言えるのではないでしょうか?
日本代表がワールドカップに出たり、日本人選手が世界に羽ばたいたりすることも大切です。
でも、それと同じくらい我々が住んでいる日本という国の「サッカー文化」を育てることも大切なのではないでしょうか?

世界の強豪クラブを集めた大会を開けることは、とても貴重なチャンスなわけですよ。

ちなみに、なぜトヨタカップが日本で開かれるようになったかご存知ですか?
もちろん、トヨタが強力なスポンサーとなったこともありますが、日本人のサッカー観戦へのマナーが評価されたことも背景にあったのです。
こういうものも、将来の日本代表を支えるひとつの「サッカー文化」なのではないかな?
僕はこう考えるわけです。

日本人がサッカーを楽しみ、Jリーグを盛り上げ、日本代表やJリーグのチームがアジアでの国際大会で切磋琢磨して、そして世界一を争える強豪国になること。
こういう着実なルートをゆっくりとつくりあげていくことが大切なのではないでしょうか?

明日からの「トヨタカップ」、そして来年の「ワールドカップをこんな思いで盛り上げていきませんか?
posted by SNR at 21:16| Comment(10) | TrackBack(12) | 趣味・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!

「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!」

みずほ証券のニュースを朝の新聞で見て、まず頭に浮かんだのはこの言葉でした。
「証券市場に残る誤発注」なんて言われていますが、
単純ミスで300億円以上の損失とは、恐ろしい世の中になったものです。

よくご存じないという方のために少し解説しますと、
東証マザーズという新興企業向け市場に上場した「ジェイコム」という企業の株について、
1株61万円で1株という売り注文を出すところを、
1株1円で61万株と、みずほ証券が誤って発注したという話です。

この結果、67万2000円つけていたジェイコム株は、
わずか3分57万2000円まで下がりストップ安に。
慌ててみずほ証券が47万株ほど買い増したところ、
わずか6分ほどで77万2000円まで急上昇してストップ高に。
すべてがわずか15分くらいのうちに起こった狂想曲であります…。

詳しくはわかりませんが、
この結果、みずほ証券は61万株以上も実際に存在しない株を空売りしたことになり、
後になって47万株ほど空の買いをしたものの、まだまだ10何万株も実際には存在しない株が存在していることになるわけです。
取引成立の4営業日後には実際に株を譲渡しなければいけないそうですから、
いったいどうなってしまうのでしょうかね。

こういう話って、たしか東京都がネットで競売オークションをやったときもありましたよね。
確か高級ピアノを落札した人が1桁ゼロを間違えて入力したという話。
トラックバックの操作ひとつでも、しばしばミスをしている僕なんかには、とてもよくわかる話です。
かなりレベルの違う話ですけどね…。

証券のネット取引が一般化して、ミニバブルと呼ばれる現象が起こってきています。
一般の投資家が参加する垣根が低くなったのは良いことですが、
取引の自動化とスピードアップがときとして生み出す副産物もあるということなのです。

今回のことは余りにインパクトが大きすぎますがね。
それにしても、福知山線の脱線事故や最近のマンションの例まで、
何かを見失っているんじゃないかという重大ニュースが多すぎるように思いませんか?



「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め!」
村上春樹の『1973年のピンボール』で、ジェイという登場人物が発する台詞です。
最近の小説『アフターダーク』でも使っているので、村上さんはかなりこの台詞を気に入っているのかもしれません。

資本主義というシステムは、それまでゆったりと流れていた時間の流れを、
切り刻み、加速化させ、人々を追い立てているような気がします。

特にインターネットによって、ますます加速化の度合いはひどくなっていると言えるでしょう。
そんな姿を垣間見るとき、この台詞をいつも思い出してしまうのです。
まあ、村上さんがどんな意図でこの台詞を使っているのかわかりませんけどもね…。
posted by SNR at 19:23| Comment(4) | TrackBack(17) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

SNRよりお知らせ

いつもご愛読いただきありがとうございます!

SNRの日記風時評コラム「after 911」が、公開3週間目にして初めて1日の訪問客100名を突破いたしました!!!

何もないところから出発して、わずか3週間でここまで来るとは思っていませんでした。
これもひとえに皆さまのおかげであります。
特にトラックバックをさせていただいたみなさま、コメントを頂いたみなさまには、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

今後も日々のニュースや社会問題を、できる限りわかりやすく、
ニュースそのものの詳細よりも、背後に浮かび上がっている問題を取り上げ、
鋭く(?)かつ豊かなコラムづくりを目指してまいりますので、
今後ともご愛顧いただきますよう、お願い申し上げます。

また、引き続きみなさまからのトラックバックや貴重なコメントも受け付けております。
建設的かつ内容の豊かなコミュニティ形成を目指しておりますので、
みなさまのご協力、よろしくお願い申し上げます。

最後になりましたが、SNRよりお知らせです。
今年も残りわずかとなってしまいました。
そこで年末に向けて、「SNRが今年の重大ニュースを斬る」というシリーズを始めたいと思います。
みなさまには申し訳ありませんが、記事がいつ更新されるかは未定です。
また、実際に何本ニュースを扱うかも決まっておりません。
どうかお楽しみに。

では、寒くなってまいりましたが、
お体にはくれぐれも気をつけて、今年1年を乗り切りましょう。

SNR
posted by SNR at 23:10| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月07日

「かんじんなことは目に見えない」のです

マンション騒動のなかで忘れていませんか?
目に見えない恐怖である「アスベスト」のことを。
先週、アスベスト新法の内容が固まり、
周辺住民や従業員の家族にまで救済範囲が広がりました
労災適用外の人たちも対象となったことは評価されても良いでしょう。

しかし、アスベスト使用施設は全国で8300ヵ所以上と言われているのです。
こうしたアスベストを除去する費用を誰が出してくれるのでしょうか?
各自治体が自腹で負担しているというのが現状です。
耐震偽装マンション住民への補償も良いのですか、
アスベストの問題もちゃんと考えて欲しいものですよね。

そして、我々だってアスベストとは無縁ではありません。
いつどこで吸い込んだのか分からなくても、
将来、何十年後かに突然、中皮腫が発症する可能性もあるわけです。
そのときには「目に見えない」因果関係を立証する責任は我々にあるのでしょうか?

それにしても、最近「目に見えない恐怖」が広がっていると感じるのは気のせいでしょうか?
「目に見えない」ところで偽装を行っていたマンションだけではありません。
あるいは責任者が「目に見えない」ところに隠れてしまったと言っても良いのでしょうか?
間もなく輸入再開と言われているBSE問題。
そして何よりも、いつ大流行するともわからない新型インフルエンザ…。

国の不作為責任もあちこちで問われています。
問題の所在が目に見えていながら放置していた責任です。
特にアスベストなどは、誰がどうしてここまで放っておいたのでしょうか?
ちゃんと責任が追及されるべきだと思うのですが、
官僚さんたちの顔はいつも見えません…。

「目に見えない」といえば「イラクに駐留している自衛隊」
大した議論もないまま、派遣延長が決まりつつあります。
こちらの方は、イラクの現状が見えないふりをしているのでしょうか?

サン=テグジュペリの『星の王子さま』のなかで、
キツネが王子さまに「かんじんなことは目に見えないんだよ」と言います。
良いことも悪いことも、本当に「目に見えにくい」ものなのです。

もう一度、繰り返します。
「かんじんなことは目に見えないんだよ」
このキツネの言葉を、かつては子どもだったすべての大人に捧げたいと思います。
posted by SNR at 23:14| Comment(10) | TrackBack(11) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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